上覚 (Jokaku)
上覚(じょうかく、久安3年(1147年) - 嘉禄2年(1226年)10月)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての真言宗の僧。
法名は上学・浄覚ともかく。
諱は行慈。
号は西山隠士。
父は湯浅宗重で、明恵(高弁)の叔父にあたる。
天台座主慈円(関白藤原忠通の子)が著した歴史書「愚管抄」五によると、1159年(平治元年)平治の乱がおきた時には、父宗重とともに平清盛に加勢したという。
出家したのはその後と見られている。
文覚に師事し、文覚の神護寺復興に協力し、文覚の死後も神護寺の経営に力を尽くした。
従兄弟にあたる明恵は上覚に師事して出家し、神護寺に入寺している。
歌にも秀で、歌学書に「和歌色葉」、私撰集に「玄宝集」がある。