仁実 (Ninjitsu)
仁実(にんじつ、寛治5年(1091年)- 天承元年6月8日 (旧暦)(1131年7月4日))は、平安時代後期の天台宗の僧。
藤原公実の次男。母は藤原光子(藤原隆方女)。待賢門院藤原璋子の異母兄。
比叡山に上り、仁覚・仁源・慶朝・仁豪・相覚・宗観などに師事して天台教学を学んだ。
鳥羽院・崇徳院の護持僧を務めた。
1123年(保安 (元号)4年)33歳の若さで天台座主に就任したが、これは40歳未満の天台座主就任の初例とされる。
最勝寺・尊勝寺の灌頂大阿闍梨を務め、大治 (日本)5年(1131年)に座主を辞退。
翌年の天承元年(1131年)証菩提院別当・法勝寺権別当となるが、同年6月8日に没した。