他阿 (Taa)

他阿(たあ、嘉禎3年(1237年) - 文保3年1月28日 (旧暦)(1319年2月18日))は、鎌倉時代後期の時宗の僧。
遊行上人2世。
正しくは他阿弥陀仏と称し、他阿と略する。
法諱は真教(ただし同時代史料にはみえず、初出は『本朝高僧伝』。
燈心文庫に真教と署名のある文書があり、他阿に同定する説あり。
俗姓は源氏久我家ともいわれるが、おそらく後代の付会と思われる。

1277年(建治3年)九州で時宗の祖一遍に師事して以来、一遍の諸国遊行に従う。
1289年(正応2年)に一遍が亡くなった後に、いったん解散した時衆を再結成して引き連れ、北陸・関東を中心として遊行を続けた。
1304年(嘉元2年)遊行を3世量阿(智得。
のち他阿号を世襲)に譲り、自らは相模国に草庵(後の当麻道場金光院無量光寺)を建立して独住(定住)し、そこで没した。
同寺の境内に、一遍らとならんで墓塔の宝篋印塔がある。
おもな門弟に量阿のほか、有阿(恵永または恵光。
のち藤沢道場をひらく他阿呑海)、京都四条道場・浄阿(真観)がいる。

膨大な消息はのちに『他阿上人法語』8巻にまとめられたほか、歌人として京洛の貴顕とまじわり、歌集に『大鏡集』がある。
伝記は「一遍上人絵詞伝(遊行上人縁起絵)」巻5~10に詳しく載せられている。
他阿の肖像としては、長崎称念寺(福井県坂井市)蔵の画像や東山長楽寺(京都市東山区)蔵の木造椅像、および黒駒称願寺(山梨県笛吹市)・国府津蓮台寺(神奈川県小田原市)蔵の木造座像が有名で、いずれも重要文化財。
晩年に患った中風によって口許がゆがんでいるのが特徴である。

一遍は、肉親ともいわれる弟子聖戒を後継者とみなしていた節があり、しかも入寂に際して時衆は各地に散って自然消滅している。
それを再興した他阿は、知識帰命を掲げた「時衆制誡」「道場制文」などを定め、消息の中で配下の道場(寺院)は百あまりと述べているように、時衆を整備された教団とした。
現在ある時宗教団は、この他阿の系統を引く藤沢道場清浄光寺が、ほかの念仏聖の教団を吸収して近世に成立した。
歴代の時宗法主は他阿を称する。
したがって、他阿真教こそが、時宗の実質的な開祖といえよう。
宗祖一遍とならぶ「二祖上人」と通称され、多くの時宗寺院で、その像が一遍と対になって荘厳されている。

[English Translation]