光明寺 (綾部市) (Komyo-ji Temple (Ayabe City))

光明寺(こうみょうじ)は京都府綾部市にある真言宗醍醐派の寺院。
山号は君尾山(きみのうさん)、本尊は千手観音菩薩。
599年、聖徳太子による開創と伝わる古刹。

国宝二王門
三間一戸、入母屋造、栩葺の堂々たる二王門は白鳳8年(680年)建立されたものと伝わっていた。
しかし昭和25年(1950年)から昭和27年(1952年)10月まで行われた解体修理で、「宝治二年戊申」の墨書名と棟札が発見され、1248年の再建であることが明らかになった。
併せて永正13年(1516年)、享保14年(1729年)、安政6年(1859年)の3度修理が行われていたことも判明した。

鎌倉時代初期築の二王(仁王)門は極めて稀少で、修理完工後の昭和29年(1954年)には新国宝に指定された。

歴史
599年 - 聖徳太子による開創。

673年 - 役小角が修験道の道場とする。

680年 - 二王門建立。

平安時代延喜年間(900年頃) - 醍醐寺開祖の聖宝(理源大師)により真言密教の道場として中興された。
以降室町時代にかけて山上山下72坊を有する巨刹へと発展した。

1248年 - 二王門が再建される。

1527年11月 - 兵火を受けて本堂、三重塔、法華堂、常行堂、鎮守拝殿、行者堂、鐘楼、坊舎を焼失。

1533年 - 上羽丹波守により再建。

1572年 - 明智光秀の焼き討ちにあう。

1579年 - 再び明智光秀の焼き討ちにあう。

江戸時代 - 領主藤掛氏の庇護を受けたが、寺坊は漸減する。

1733年 - 山下の23坊が焼失。

1836年 - 本堂が再建される。

明治時代初頭 - 山上に残っていた4坊が無くなる。

1914年 - 古建築の庫裏、方丈、客殿を焼失。

1916年 - 庫裏再建。

伽藍
本堂 - 本尊千手観音菩薩安置
二王門 - 仁王像安置
地蔵堂
庫裡 - 大正5年(1916年)再建
梵鐘 - 慶長9年(1604年)9月20日本堂境内で改鋳

文化財
二王門 - 国宝、鎌倉時代初期(1248年)再建
本堂 - 京都府指定文化財、江戸時代後期(1836年)再建
鰐口 - 京都府指定文化財、室町時代の応永17年(1410年)に若洲(若狭)上釜屋の作。
面径41cm、肩厚11.5cm、本堂正面懸吊

宝篋印塔 - 綾部市指定文化財、南北朝時代 (日本)建立
紙本墨書勧進帳奉加帳 1通・1冊綾部市指定文化財、室町時代
光明寺制札2枚 - 京都府登録文化財、室町時代

所在地
〒623-1131 京都府綾部市睦寄町君尾1-1

交通アクセス
山陰本線 綾部駅から、あやべ市民バス上林線で40分、「あやべ温泉前」下車、徒歩40分

周辺情報
君尾山 - 標高582m
二王公園
あやべ温泉
上津灰のミズメ
頭巾山のブナ林

[English Translation]