大森禅戒 (OMORI Zenkai)
大森 禅戒(おおもり ぜんかい、1871年 - 1947年2月4日)は、明治から昭和にかけての曹洞宗の僧。
俗姓は八木。
若いころから学僧として優秀で、29歳の若さで母校の曹洞宗大学(現在の駒澤大学の前身)の教授となった。
その後、明治37年(1904年)2月からアメリカ合衆国・イギリス・ドイツの大学に留学し、最後はインドに立ち寄って明治44年(1911年)8月に帰国。
その後もヨーロッパやハワイ、アメリカなどに赴き、視察や布教などを行うなど、国際的にも活躍した。
山梨県慈照寺住職、駒澤大学教授などを務めたあと、昭和15年(1940年)には曹洞宗管長に就任。
翌昭和16年(1941年)には、曹洞宗の頂点である大本山永平寺第70世貫首となったが、入山式の直後に引退を表明、以後は自分の研究に打ち込んだ。
昭和22年(1947年)、脳溢血のため遷化(せんげ)。