弥勒菩薩 (Miroku Bosatsu, Maitreya Bodhisattva)
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、サンスクリットマイトレーヤ (maitreya)は仏教の仏菩薩の一尊である。
梵名を意訳して慈氏菩薩ともいう。
字は阿逸多 Ajita といい、無勝等と訳す。
インドの波羅奈(パラナシー)国に生まれ釈迦仏の化導を受け、未来に成仏するという記を与えられたという。
三昧耶形は蓮華上の塔、賢瓶(水瓶)。
種子 (密教)(種字)はユ(yu)。
未来仏
弥勒はゴータマ・シッダールタ(釈迦牟尼仏、現在仏)の次に仏陀となることが約束された菩薩で、ゴータマ・シッダールタの入滅後56億7千万年後の未来に姿をあらわし多くの人々を救済するとされる。
現在は、兜率天で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。
一般に弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜卒天での寿命は4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×360=5億7600万年かかるという計算に由来する(後代に5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったと考えられている)。
他の古い仏教の経典では3000年後説もあり、その未来仏の出現する時代は厳密には定かではなく「遠い未来」の比喩ではないかとの説もある。
弥勒菩薩はバラモンとして娑婆世界に出世して、シッダールタ同様に出家したのち竜華樹下(りゅうげじゅ)で悟りを得て、三度にわたり説法を行い多くの人々を救うという(これを竜華三会という)。
『弥勒下生経』には、初会96億、二会94億、三会92億の衆生を済度すると説いている。
なお、56億7千万年後の下生の姿を先取りして弥勒如来、弥勒仏と呼ばれることもある。
東大寺の「試みの大仏」と呼ばれる像は高さ40cm足らずの小像ながら、ずっしりとした質感を持つ「弥勒如来坐像」(木造)である。
弥勒信仰には、上生信仰とともに、下生信仰も存在し、中国においては、こちらの信仰の方が流行した。
下生信仰とは、弥勒菩薩の兜率天に上生を願う上生信仰に対し、弥勒如来の下生が56億7千万年の未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えなければならないという信仰である。
浄土信仰に類した上生信仰に対して、下生信仰の方は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論、救世主待望論的な要素が強い。
そのため、反体制の集団に利用される、あるいは、下生信仰の集団が反体制化する、という例が、各時代に数多く見られる。
北魏の大乗の乱や、北宋・南宋・元 (王朝)・明・清の白蓮教が、その代表である。
日本でも戦国時代 (日本)に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、ユートピアである「弥勒仏の世」の現世への出現が期待された。
一種のメシアニズムであるが、弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念が強い。
この観念を軸とし、東方海上から弥勒船の到来するという信仰が、弥勒踊りなどの形で太平洋沿岸部に展開した。
江戸時代には富士信仰とも融合し、元禄年間に富士講の行者、食行身禄が活動している。
また百姓一揆、特に世直し一揆の中に、弥勒思想の強い影響があることが指摘されている。
観弥勒菩薩上生兜率天経、弥勒下生経、弥勒大成仏経 の3本で弥勒三部経と呼ぶことがある。
また、浄土宗系の無量寿経 には、阿弥陀仏の本願を後世の苦悩の衆生に説き聞かせるようにと、釈迦牟尼仏から弥勒菩薩に付属されている。
仏教の中に未来仏としての弥勒菩薩が登場するのはかなり早く、すでに阿含経 に記述が見える。
この未来仏の概念は過去七仏から発展して生まれたものと考えられている。
唯識論師
300年前後に、インドの瑜伽行唯識学派の論師として唯識説を説く開祖の一人。
後世の伝説によって、前述の未来仏としての弥勒菩薩と同一視された。
著作に『瑜伽師地論』、『大乗荘厳経論』、『中弁分別論』、『現観荘厳論』、『法法性弁別論』などがある。
チベットでは、瑜伽師地論は無着菩薩造となっており、究竟一乗宝性論が弥勒菩薩造となっているが、漢訳では堅慧造としている。
ミスラ神との関係
弥勒菩薩は、西アジアで崇められた太陽神ミスラが仏教に取り入れられ、菩薩として信仰されたものとする説もあり、その救世主的性格はここに由来するという。
ミスラはインド神話におけるアーディティヤ神群の一柱ミトラと起源を同じくし、古くは古代アーリアにおいて信仰されていた契約の神だった。
ゾロアスター教においては中級神ヤザタの一柱とされ、英雄神、太陽神として重要な役割を持つ。
また、古代ギリシャ・ローマにおいてはミトラースと呼ばれ、太陽神・英雄神として崇められた。
ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられている。
ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明であるが、定方晟はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測している。
弥勒の梵名「マイトレーヤ」は、ミスラ神の名と語源を同じくする。
「mitra/miθra」は本来「契約」というほどの意味だが、後には転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」をも意味するようになった。
マイトレーヤはその派生形容詞/名詞で「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味となる。
ミルク神
沖縄では、「ミルク神」、「ミルクさん」と呼び、弥勒信仰が盛んである。
祭りでは、笑顔のミルク仮面をつけたミルク神が歩き回る。
弥勒菩薩の化身とされた布袋尊との関係が指摘されている。
仏像
弥勒菩薩像はインドでは水瓶を手にする像として造形されたが、中国においては、唐までは足を交差させ椅子に座る像として造像され、元明時代以降は弥勒の化身とされた布袋として肥満形で表された。
一方、飛鳥時代の日本では半跏思惟像として造像が行なわれた。
椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえを付いて瞑想する姿である。
大阪・野中寺の金銅像(重文)が「弥勒菩薩」という銘文をもつ最古の半跏思惟像である。
京都の広隆寺の弥勒菩薩像(木像)は特によく知られており、国宝に指定されている(→弥勒菩薩半跏思惟像)。
ただし、半跏思惟像だからといって弥勒菩薩像であるとは限らない。
平安時代・鎌倉時代には、半跏思惟像は見られなくなり、立像や坐像として表されるようになる。
京都・醍醐寺の快慶作の木像などがその作例である。
弥勒如来像としては、前述の奈良の東大寺の木像(通称「試みの大仏」)(重文)や、当麻寺金堂の塑像(奈良時代、国宝)、興福寺北円堂の運慶一門作の木像(国宝)などが知られる。
真言
オン・マイタレイヤ・ソワカ
布袋像
日本では七福神の一人として知られる布袋尊和尚は、中国では、弥勒の化身とされ、下生した弥勒如来として仏堂の正面にその破顔と太鼓腹で膝を崩した風姿のまま祀られている。