愚堂東寔 (Gudo Toshoku)

愚堂東寔(ぐどうとうしょく、天正5年4月8日 (旧暦)(1577年4月25日) - 寛文元年10月 (旧暦)(1661年))は、禅宗の臨済宗の高僧。
大本山妙心寺第十四世住持。
父は伊藤紀内、母は斎藤氏家臣の娘とされる。

沿革

美濃国伊自良村大森(現在の岐阜県山県市)に生まれ、15歳で東光寺 (山県市)において出家して瑞雲に師事する。
19歳で諸国へ旅に出て宇都宮市興禅寺 (宇都宮市)の物外や播磨国赤穂市三友寺の南是の元などを訪れた後、妙心寺聖沢院の庸山景庸に師事し、愚堂の号を与えられて印可を受けた(後に妙心寺住持を三度勤めた)。
その後臨済宗復興のため、美濃国(岐阜県八百津町)の正伝寺 (八百津町)や伊勢国(三重県伊勢市)の中山寺 (伊勢市)を開山。
江戸へも足を運んでいる。
最期は、京都市山科区の華山寺にて85歳で没する。
死去の翌年には国師号を授けられ大円宝鑑国師と追諡されている。

後水尾天皇や徳川家光、保科正之、中院通村、春日局など多くの公家・武家から帰依を受けている。
また、宮本武蔵も青年時に妙心寺にいた愚堂の元へ参禅している。

[English Translation]