慈雲妙意 (Jiun-Myoi)

慈雲妙意(じうんみょうい、文永11年(1274年) - 貞和元年/興国6年6月3日 (旧暦)(1345年7月2日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代 (日本)にかけての臨済宗の僧。
俗姓は平氏。
諱は妙意。
道号は慈雲。
諡号は恵日聖光国師。
信濃国の出身。

15歳で越後国五智山で出家・得度し、その後下野国日光山、鎌倉建長寺・円覚寺を経た。
能登国永光寺の瑩山紹瑾に参禅したのち、越中国二上山に草庵を結んでそこに住した。
孤峰覚明に師事してそれに従い、紀伊国無本覚心に参禅した。
1298(永仁6)年に覚心が没した後は、孤峰に従い出雲国雲樹寺でその印可を受けた。
1327年(嘉暦2年)二上山に東松寺(現・国泰寺 (高岡市))に住していたとき、後醍醐天皇からの諮問にこたえた。
その功により紫衣と清泉禅師の号を賜るとともに、国泰寺には官寺としての勅額を賜った。
晩年に、光明天皇にも禅に関する諮問に答え、紫衣を授けられた。
没後、光明天皇から「恵日聖光禅師」の号を贈られたという。

[English Translation]