曇英恵応 (Donei Eio)
曇英恵應(どんえい えいおう、応永31年(1424年) - 永正元年(1504年))は室町時代の曹洞宗の僧。
俗姓は藤原氏。
諱は恵應。
道号は曇英。
京都の出身。
円覚寺、相国寺等で臨済宗の禅風を学んだ後、曹洞宗に転じ一州正伊の法を継いだ。
今日の曹洞宗は黙照禅で知られるが当時は看話禅の修行も盛んで、恵應はその第一人者と目された。
雙林寺、最乗寺などの名刹の住職を歴任し、林泉寺、長年寺を開いた。
大庵須益、為宗仲心らの推挙により永平寺の住職に就任した。
当時の永平寺は衰退期にあり、恵應は復興の手腕を期待され奔走したが在任は短期間であった。
このため、現在では公式には歴住(歴代住職)に数えられていない。