本尊 (日蓮正宗) (Honzon (Nichiren Shoshu))
日蓮正宗の本尊は、本門戒壇之大御本尊(通称・法華曼荼羅)という。
また、一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の御本尊とも呼ばれ、宗祖日蓮が楠樹に図顕(ずけん)し、和泉公日法師が彫刻したものである。
中央に南無妙法蓮華経の題目、題目の下に日蓮の花押、題目の周囲に諸尊を勧請し、四隅に四大天王、左右に不動明王・愛染明王の梵字が書かれているのが特徴である。
また、本門戒壇之大御本尊には、「本門戒壇」「願主弥四郎国重」や「法華講衆等敬白」などと添書きがなされている。
日蓮正宗の末寺には、法主が本門戒壇之大御本尊を書写した漫荼羅御本尊が安置され、信者にも、大石寺住職一覧(ほっす)が本門戒壇之大御本尊を書写したという漫荼羅が下附される。
本門の本尊
日蓮正宗では、1279年(弘安二年)10月12日の宗祖所顕と伝えられる本門戒壇の大御本尊(総本山大石寺奉安堂に安置)を帰命依止の本尊と定め、宗祖の出世の本懐としている。
さて、宗祖所顕の大曼荼羅本尊であるが、美術愛好家の間において文字曼荼羅・十界曼荼羅などと呼ばれているものもあるが、これらはすべて本門戒壇之大御本尊を木の幹とした枝葉である。
「南無妙法蓮華経」の題目と宗祖の名「日蓮」および判形からなる首題が特徴的な筆さばきで中央に縦書きされ、その左右を仏界の釈迦牟尼仏・多宝如来から、菩薩や神々、地獄界の提婆達多に至るまで、一念三千に包含される衆生を代表する数多くの名前が取り囲む、という構造になっている。
この御姿は、本尊七箇之相承の「中央の首題、左右の十界、皆悉く日蓮なり」と仰せの如く、霊山会上の儀式の姿を借りて、日蓮大聖人の一心に具わるところの十界互具・百界千如・事の一念三千の全体を顕すのである。
すなわち中央の南無妙法蓮華経・左右の十界の聖衆ともに、日蓮大聖人の御生命全体を顕わすのである。
故に大聖人は、「日蓮が魂を墨にそめながして書きて候ぞ、信じさせ給へ」と仰せられるのである。
日蓮正宗の各寺院・施設および各信徒宅には、時の法主によって授与された宗祖所顕の大曼荼羅本尊、もしくは歴代法主による書写の曼荼羅本尊が安置されており、本尊に対する日々の給仕は「生身の日蓮大聖人にお仕えするのと同じ気持ち」で行うべきことが、当然とされている。
御本尊は生身の御仏、すなわち「御本仏日蓮大聖人」のお悟りそのものであると同時に人本尊(にんほんぞん)としての宗祖の御境界と境智冥合して、人法一箇(=相即一体)の関係において顕わされているわけである。
この御本尊に朝夕に勤行唱題することこそが、”どんな者でも必ず仏になれる”という法華経の文底に秘沈された事の一念三千の法を、単なる理屈ではなく、実際に一生成仏を遂げるための実践法、つまり観心修行として体現するものであることが知られる。
第二祖の日興は、神天上の法門を厳格に主張して他宗勧請の神社をすべて謗法と断じた反面、広宣流布が達成された暁においては、日本全国の神社仏閣すべてに御本尊が安置されることから、参拝を解禁すべき旨をも書き残している。
このためか、静岡県富士宮市の大石寺周辺の神社には、神体として日蓮正宗の本尊が安置されているところがある。
本尊の形態
本尊の形態には「紙幅本尊」と「板本尊」がある。
紙幅本尊は表具をつけて掛軸の形にしてあり、法主直筆の「常住本尊(書写本尊)」と、法主直筆の曼荼羅を印刷した「形木本尊」に分けられる。
寺院所蔵の紙幅本尊はすべて「常住本尊」であり、葬儀の際に掲げられる「導師本尊」も同じく「常住本尊」である。
信徒宅に貸し下げられる本尊は「形木本尊」(特別形木本尊もある)で、信心熱心な信徒が所属寺院を通して総本山に申請すれば「常住本尊」が授与されることもある。
「板本尊」は、すべてが「常住本尊」である。
総本山の諸堂、各寺院の本堂に安置され、「本門戒壇之大御本尊」を模して、黒漆塗りの板に文字を刻み、文字には金箔が施されている。
蓮華座に本尊の臍を差し込んで安置されている。
大石寺客殿 (大石寺)安置の「御座替わり御本尊」(日興書写)など、周囲に金色の枠が施されている本尊もあるが、施設に関しては紙幅本尊のところもあれば板本尊のところもある。
なお、此処に書かれている常住板御本尊と本門戒壇大御本尊の形状は同じではない。
本門戒壇大御本尊様は丸木を半分にしたような形をしているので、およそ「板」という概念には当てはまらない。
また、本尊には書写年月日、所蔵寺院名、安置場所、願主名などが脇書として書かれることもあり、本尊を書写した時の法主の名と判形(花押)も下部に書かれている。
本門戒壇之大御本尊
本門戒壇之大御本尊(ほんもんかいだんのだいごほんぞん)は、1279年(弘安2年)10月12日に御図顕された日蓮の出世の本懐であるとされる。
大石寺奉安堂に安置の本門戒壇之大御本尊の横には宮殿(厨子)があり、最初仏と呼ばれるわずか三寸の日蓮の像が安置されているが、これは本門戒壇之大御本尊を建立されたときの楠樹で和泉公日法師が彫刻し、日蓮がこれを見た時に「よく似ている」と仰ったという逸話(伝説)が残っている。
本門戒壇之大御本尊については、他派からはその真贋について議論が絶えない。
明治44年に出版された「日蓮聖人」という本の扉に掲載された写真は、由比一乗が著者に与えたものである。
細かい点は見えないが首題・四大天王・花押はしっかりと確認できる。
この鑑定から、弘安3年5月8日日禅授与曼荼羅と酷似していることが指摘されている。
紫宸殿御本尊
通称、紫宸殿御本尊(ししんでんごほんぞん)と呼ばれるものは、富士大石寺と京都要法寺にある本尊である。
しかし、大石寺と要法寺のものは、まったくの別物である。
大石寺のものは、1280年(弘安3年)太歳庚辰3月日、日蓮の真筆で紙幅の漫荼羅であり、富士宗学要集5巻には「紫宸殿御本尊と号す」と記載され、天皇が日蓮の仏法に帰依したとき、天皇に下附し京都御所紫宸殿に奉掲するための特別の本尊とされている。
また別な伝説によれば、大石寺9世日有の時代に、本尊 (日蓮正宗)を盗賊から守るため沼津の井出という家の洞穴におかくまいして、紫宸殿御本尊を板に刻み「身代わり御本尊」としたと伝えられている。
紫宸殿御本尊という名称は、もとより伝承であり長い間親しまれてきたが、2002年のお虫払い法要の砌において大石寺67世日顕の説法があり「その名称も見直しが行われるべきであり師資相承之御本尊または師資伝授之御本尊と呼ぶのが正しい」とされている。
要法寺にあるものは、1756年(宝暦6年)、紫宸殿において天覧に奏した紙幅の漫荼羅であるが、日蓮の真筆では無いとされている。
紫宸殿は、京都御所にあり、かつては天皇の住居とされていた。
天皇が東京の皇居に移ってからは、文化財として国の管理下にあり、観光施設として拝観することができる。
各寺院所蔵の本尊のうち、枕経・通夜・葬儀の際に掲げられる「導師本尊」は、故人を霊山浄土へ導くとされる即身成仏のための本尊で、「即身成仏の御本尊」ともいわれる。
また、総本山大石寺をはじめとする寺院の納骨堂には本尊が安置される場合もある。
納骨堂に本尊を安置する場合も同じ意味で導師本尊が安置される。
安置形式と仏壇・仏具
本尊の安置形式は、通常は本尊のみを安置する形式であるが、一部の寺院では、大石寺の御影堂 (大石寺)のように本尊の前に日蓮の像を安置する「御影堂式」、または、大石寺の客殿のように中央に本尊を安置し、本尊に向かって左側に日蓮の像、本尊に向かって右側に日興の像を安置する「別体三宝式」の安置形式をとっているところもある。
日蓮正宗では、本尊を厨子に安置する。
また、仏壇に位牌を置くことはない。
葬儀においては白木の位牌が用いられるが、五七日忌または七七日忌などに納骨を行う際に、過去帖に記入し、白木の位牌はお寺納めとする。
したがって、朝夕の勤行においては、過去帖を見ながら物故者の追善を行う。
また、日蓮正宗の仏壇は、他宗派の仏壇とは構造が大きく異なり、内側に厨子が付いているものが特徴である。
また、寺院の厨子を模した家庭用仏壇もある。
信徒が仏壇に位牌を置くことはないが、大石寺の大講堂 (大石寺)の仏前には日興と日目の位牌が安置されている。
これは、日蓮が説法し、血脈を直接受け継いだとされる弟子の日興と日目が日蓮の見守る中、説法する意味が込められている。