梵鐘 (Bonsho)

梵鐘(ぼんしょう)は、東アジアの寺院などで使用される仏具としての釣鐘(つりがね)。
撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴。
一般には除夜の鐘で知られる。
別名に大鐘(おおがね)、洪鐘(おおがね、こうしょう)、蒲牢(ほろう)、鯨鐘(げいしょう)、巨鯨(きょげい)、華鯨(かげい)などがある。

概要

「梵」は梵語(サンスクリット)の Brahma (神聖・清浄)を音訳したものである。
作られた国によって中国鐘、朝鮮鐘(高麗鐘・新羅鐘)、和鐘(日本鐘)と呼ばれる。

仏教はインドに起源を持ち、アジア各地に広まった宗教であるが、梵鐘に関してはその祖形をインドに求めることは困難であり、中国古代の青銅器にその源流が求められる。
殷・周時代から制作されている「鐘」(しょう)という青銅器が梵鐘の源流と推定されているが、この「鐘」は全体に小型で、その断面形状は後世の梵鐘のような円形ではなく、杏仁形(アーモンド形)である。
中国製の梵鐘の古例としては、奈良国立博物館所蔵の陳 (南朝)の太建7年(575年)の銘をもつ作品がある。
この太建7年銘鐘は、断面が円形であること、縦横の帯で鐘身を区切ること、鐘身を懸垂するフックの部分を龍身とすること、撞座を蓮華文とすることなどが後世の日本の梵鐘と共通しており、その祖形と目される。
ただし、「乳」と呼ばれる突起状の装飾を付けない点は日本の梵鐘と異なっている。

梵鐘の日本への渡来については、日本書紀に大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が562年、高句麗から日本に持ち帰ったとの記録が残っているが、現存遺品でこの時代にまでさかのぼるものはない。
京都・妙心寺の梵鐘(国宝)は、内面に戊戌年(698年)の銘があり、製作年代の明らかな日本製の梵鐘としては最古のものとされている。
高麗時代以前の朝鮮鐘は朝鮮半島のほか日本にも多数伝来し、福井県常宮神社の鐘が年代の明らかなものとしては最古(唐の太和7年・833年)とされている。
日本の梵鐘は中国の様式を倣ったものが大半で、朝鮮鐘を倣ったものはごく例外的なものとされている。

梵鐘の主な役割は本来は法要など仏事の予鈴として撞(つ)く仏教の重要な役割を果たす。
朝夕の時報(暁鐘 - ぎょうしょう、昏鐘 - こんしょう)にも用いられる。
ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされる。
こうした梵鐘の功徳については多くの鐘の銘に記されている。

青銅製が多いが、小型のものにはまれに鉄製もある。
小型のもの(一説には直径1尺7寸以下)は半鐘(喚鐘、殿鐘)といい高い音で、用途も仏事以外に火事などの警報目的でも使われる。

響きをよくするために鋳造の際、指輪(金)をいれることがあるといわれ、江戸時代には小判を鋳込んだ例もある。
雅楽と鐘の関係を記す文献もある。

日本では第二次世界大戦時に金属類回収令により数多くの梵鐘が供出され、鋳潰された。
文化財指定の鐘、その他特に古いものや貴重なものは残されたが、近世の鐘の多くが溶解され、日本の鐘の9割以上が第二次世界大戦時に失われたという。

和鐘の形式

和鐘の場合、鐘身は上帯・中帯・下帯と称される3本の横帯で水平方向に区切られるとともに、垂直方向にも縦帯と称される帯で区切られる。
縦帯は通常4本で、鐘身を縦に4分割する(近世の鐘には5本の縦帯をもつものもある)。
上帯と中帯の間の空間は、上部を「乳の間」(ちのま)、下部を「池の間」と称する。
「乳の間」には「乳」と称する突起状の装飾を並べる。
「池の間」は無文の場合もあるが、ここに銘文を鋳出(または刻出)したり、天人像、仏像などの具象的な図柄を表す場合もある。
中帯と下帯との間のスペースは「草の間」と呼ばれる。
鐘身の撞木が当たる位置には通常2箇所の撞座(つきざ)が対称的位置に設けられる(まれに4箇所に撞座を設ける例もある)。
撞座の装飾は蓮華文とするのが原則である。

和鐘の基本的形状は奈良時代から江戸時代まで変わりがないが、細部には時代色が表れている。
梵鐘の時代を判別する大きなポイントの1つは撞座と龍頭との位置関係である。
奈良時代から平安時代前期の鐘では、2つの撞座を結ぶ線と龍頭の長軸線とは原則として直交している。
すなわち、鐘の揺れる方向と龍頭の長軸線とは直交する。
これに対し、平安時代後期以降の鐘においては龍頭の取り付き方が変化しており、2つの撞座を結ぶ線と龍頭の長軸線とは原則として同一方向である。
すなわち、鐘の揺れる方向と龍頭の長軸線とは一致している(若干の例外はある)。
また、奈良時代から平安時代前期の鐘では撞座の位置が高く、鐘身の中央に近い位置にあるのに対し、平安時代末期以降の鐘では撞座の位置が下がる傾向がある。

奈良時代の梵鐘

梵鐘研究家の坪井良平は以下の16口を奈良時代鐘としている。

千葉・成田市出土鐘(国立歴史民俗博物館蔵) 774年
福井・劔神社鐘 770年
岐阜・真禅院鐘
滋賀・園城寺鐘 通称・弁慶の引き摺り鐘
滋賀・竜王寺鐘
京都・妙心寺鐘 698年
京都・東福寺鐘
奈良・東大寺鐘
奈良・興福寺鐘 727年、製作年代明らかなものとしては日本で2番目に古い
奈良・薬師寺鐘
奈良・新薬師寺鐘
奈良・法隆寺西院鐘
奈良・法隆寺東院鐘 旧・中宮寺鐘
奈良・当麻寺鐘 妙心寺鐘と並ぶ日本最古級の鐘
奈良・大峯山寺鐘
福岡・観世音寺鐘 妙心寺鐘と同じ木型から造られた古鐘

国宝の梵鐘

神奈川県・円覚寺
神奈川・建長寺
福井・劔神社
滋賀・佐川美術館
京都・平等院(所在鳳翔館、現在鐘楼に吊られている鐘は複製)
京都・妙心寺(徒然草に登場する)
京都・神護寺(非公開)
奈良県・当麻寺(非公開)
奈良・東大寺
奈良・興福寺(所在国宝館)
奈良・栄山寺
福岡県・観世音寺
福岡・西光寺

その他の著名な梵鐘

東京・品川寺(鐘楼) - 四代将軍徳川家綱寄進。
幕末に万博出品されるも行方不明となり、昭和5年に返還された。

東京・浅草寺(弁天山) - 「花の雲 鐘は上野か浅草か」(松尾芭蕉)の句で著名。

滋賀・園城寺(三井寺)(鐘楼) - 「三井の晩鐘」の別名あり。
音色の良さで知られ、三大梵鐘ともいわれる。

滋賀・園城寺(三井寺) - 通称「弁慶の引き摺り鐘」
京都・方広寺(鐘楼) - 銘文中の「国家安康」の句が徳川家康の豊臣への怒りを買ったとされる。

京都・知恩院(鐘楼)
熊本県・蓮華院誕生寺(鐘楼) - 大きさ、重量ともに世界一の大梵鐘がある。
口径九尺五寸、高さ十五尺、重量一万貫。
昭和五十二年鋳造。
鋳造元は岩澤の梵鐘。

和歌山県日高郡 (和歌山県)日高川町道成寺:梵鐘がないことで有名、安珍・清姫伝説に基づく。

文学の中の梵鐘

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色,盛者必衰の理をあらわす」平家物語冒頭

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規の俳句)

「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる」(童謡『夕焼け小焼け』作詞 中村雨紅、作曲 草川信)

梵鐘に関わる音楽

涅槃交響曲(黛敏郎) - オーケストラと合唱のための作品だが、オーケストラで梵鐘の響きを表現しようとしている。

鐘楼

鐘楼(しょうろう・しゅろう)は鐘突堂(かねつきどう)、釣鐘堂(つりがねどう)とも呼ばれ、梵鐘を設置して撞く専用の建造物である。

[English Translation]