真宗大谷派 (Shinshu sect Otani-ha)

真宗大谷派(しんしゅうおおたには)は、浄土真宗の一派。
京都・六条烏丸(からすま)にある東本願寺(東本願寺)を本山とする。
末寺数は9804。
浄土真宗本願寺派(通称「お西さん」、「本派」、「西本願寺」)との区別の便宜上、「お東さん」、「大派」、「谷派」等と呼ばれる。
本山の真宗本廟も、同様の理由により、本願寺の東西分派以降、「東本願寺」と通称されている。

概要

この概要は、宗教法人法に基づき公示されている『宗教法人「真宗大谷派」規則』と、その第3条に最高規程に定められている『真宗大谷派宗憲(以下、宗憲)』からの抜粋・引用。

運営の根幹

宗派運営の根幹となる方針は、次の3点である。
(宗憲 前文より)

同朋社会の顕現
すべて宗門に属する者は、常に自信教人信(一人ひとりにおいて浄土真宗の教えを常に受け止め直し、それを他の人とともに確かめてゆくこと)の誠を尽くし、同朋社会の顕現(ともに阿弥陀仏の浄土に向かって歩む社会生活を実践し続けること)に努める。

宗本一体
宗祖親鸞聖人の真影を安置する真宗本廟は、宗門に属するすべての人の帰依処(依り所となる教えを確かめる大切な場所)であるから、宗門人はひとしく宗門と一体としてこれを崇敬護持する。

同朋公議
宗門の運営は、何人の専横専断をも許さず、あまねく同朋の公議公論に基づいて行う。

最高規範

「宗憲」は、大谷派の最高規範である。
(宗憲 第一章・第五条より)

教義

宗祖親鸞聖人が、無量寿経仏説無量寿経に基づいて、顕浄土真実教行証文類(教行信証)を撰述して開顕した(阿弥陀如来の)本願の名号を体とする往還二廻向(往相回向・還相廻向)を要旨とする。
(宗憲 第二章・第八条より)

本尊

阿弥陀如来一佛。
(宗憲 第二章・第九条より)

また正法弘通の恩徳を謝するため、宗祖親鸞聖人、聖徳太子、七高僧及び歴代門首の影像を安置する。
(宗憲 第二章・第十条より)

正依の聖教

正依の聖教は、次のとおりである。
(宗憲 第二章・第十一条より)

「浄土三部経」

『無量寿経仏説無量寿経』曹魏康僧鎧訳

『観無量寿経』劉宋畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳

『阿弥陀経』姚秦鳩摩羅什訳

七高僧論択章疏(撰述の聖教)

龍樹造

『十住毘婆沙論』「易行品」…全十七巻の内、巻第五「易行品第九」。

『十二礼』

天親造

『無量寿経優婆提舎願生偈(無量寿経優婆提舎願生偈)』

曇鸞撰

『無量寿経優婆提舎願生偈註(無量寿経優婆提舎願生偈註)』

『讃阿弥陀陀佛偈』

道綽撰

『安楽集』

善導撰

『観無量寿経疏』

『往生礼讃(往生礼讃偈)』

『法事讃(転経行道願往生浄土法事讃)』

『般舟讃(依観経等明般舟三昧行道往生讃)』

『観念法門(観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門)』

源信_(僧侶)撰

『往生要集』

法然撰

『選択本願念仏集』

宗祖親鸞聖人撰述

『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』…「正信念佛偈(正信偈)」は、『教行信証』の「行巻」の末尾にある、七言百二十句からなる偈文。

『浄土文類聚鈔』

『愚禿鈔』

『入出二門偈(入出二門偈頌)』

『浄土三経往生文類』

『如来二種回向文』

『尊号真像銘文』

『一念多念文意』

『唯信鈔文意』

『浄土和讃』

『高僧和讃』

『正像末和讃』(浄土・高僧・正像末和讃を総称して「三帖和讃」)

現在の組織

上記の基本方針に従い、種々の教化活動・社会活動・諸事業が展開されている。
具体的な運営は、現在、中央と地方(国内30の教区と海外3の開教区、及びそのもとにある420の組〈そ〉)の組織によって行われている。
それぞれの組織においては、以下に示す通り三権分立の形態が取られている。

中央

立法府に相当する組織(議決機関):宗会(宗議会〈各教区から選出される僧侶の代表〉と、参議会〈各教区から選出される門徒の代表〉の二院制)
行政府に相当する組織(執行機関):内局(宗会によって指名され宗教法人真宗大谷派の代表役員を務める宗務総長、及び宗務総長が任命する5名の参務により構成される)、及びそのもとに置かれる宗務所(中央)・教務所(教区ごとに置かれる地方出先機関)・開教監督部(海外の開教区ごとに置かれる出先機関)等の宗務執行機関
司法府に相当する組織(審査機関):審問院(宗議会の同意を得て内局が指名する審問院長を長とする)
地方(教区)
立法府に相当する組織(議決機関):教区会(各組から選出される僧侶の代表)と、教区門徒会(各組から選出される門徒の代表)
行政府に相当する組織(執行機関):教区教化委員会(教務所長を委員長とする)、及び教務所に駐在する宗務役員
司法府に相当する組織(審査機関):査察委員会

地方(組〈そ〉)

立法府に相当する組織(議決機関):組会(各寺院・教会の主管者〈各寺院・教会の僧侶の代表〉)と、組門徒会(各寺院・教会の門徒の代表)
行政府に相当する組織(執行機関):組教化委員会(組会で選出される組長を委員長とする)
司法府に相当する組織(審査機関):査察委員

※上記以外に、各教区・開教区における教法の聞信・宣布の拠点として、56の別院が設置されている。

また、以上に属する僧侶・門徒を代表して、真宗本廟の宗祖親鸞聖人真影の御給仕並びに仏祖崇敬の任に当たり、同朋とともに真宗の教法を聞信する宗派の象徴的地位として門首が置かれている(現在の門首は、第25世の浄如〈大谷暢顕〉)。

なお、混同されやすいが、東京都台東区の東本願寺 (東京都台東区)を本山とする浄土真宗東本願寺派(末寺数 三百数十)は、宗派のあり方をめぐる見解の相違により、1981年に真宗大谷派から離脱・独立したもので、現在、両者は別個の宗教法人である(⇒お東騒動)。

本願寺を中心とする教団は、もと一つの勢力であったが、江戸時代の最初期に、現在見られるような東西両本願寺を中心とするかたちになった。

本願寺の東西分派の経緯

本願寺教団の東西分派は、戦国時代の最末期、大坂の石山本願寺を本拠地として戦われた一向一揆(石山合戦)(1570年~1580年)終結時の教団内部における見解の相違に遠因を持つ。

石山合戦末期の本願寺教団内には、当時対立していた織田信長との講和を支持する意見と、徹底抗戦を主張する意見とがあった。
当時の本願寺門主であった11代顕如は、全面講和を支持する勢力と行動を共にし石山本願寺を退去したが、顕如の長男教如は、徹底抗戦派と共に一時石山に留まり、退去後も抗戦派への支持を募った。
この教団の分裂的状況は、1591年、本願寺が豊臣秀吉から寺地(七条堀川)を与えられて京都に戻った後も継続していた。
これに着目した徳川家康は、1602年、本願寺のすぐ東(六条烏丸)の土地を教如に与え、最大の宗教勢力であった本願寺の勢力分散をはかった(自身も三河時代に一向一揆に苦しめられた経験を持っており、本願寺教団の力を大きな脅威と感じていた)。
これにより本願寺は、顕如の三男准如を12世門主とする西本願寺(現在の浄土真宗本願寺派)と、長男教如を12世門主とする東本願寺(現在の真宗大谷派)とに分裂することになった。
(*以上、浄土真宗、本願寺の歴史の項をも参照)

現在、本願寺派(西本願寺)の末寺・門徒が中国地方に特に多い(いわゆる「安芸門徒」など)のに対し、大谷派(東本願寺)のそれが、別院・教区の設置状況に見られるように北陸地方・東海地方に特に多い(いわゆる「加賀門徒」「尾張門徒」「三河門徒」など)のも、上述の歴史的経緯の反映といわれる。

大谷派御歴代

宗祖 親鸞 (1173~1262) …第三代覚如により、「開祖(第一代)」に定められる。

覚信尼(1224?~1283?) …文久9年(1272年)親鸞の石塔を大谷より吉水に改葬し、大谷廟堂を建立。
建治3年(1277年)、初代留守職に就任する(~1283年)。

第二代 如信 (1235~1300) …弘安3年 (1280年)、法灯を委任される。
(寺務は、覚信尼・覚惠に委任。)
第三代覚如により、「第二代」に定められる。

覚恵(1239?~1307) …弘安6年(1283年)、留守職継承(~1307年)。

※「唯善事件」…覚恵と唯善の間に起こった留守職就任問題。
覚恵の死後、延慶 (日本)2年(1309年)7月に青蓮院の裁定で決着する。

第三代 覚如 (1270~1351) …延慶3年(1310年)、東国(関東)の門徒の了承を得て、大谷廟堂留守職継承。
(~1314年、1322年~1338年、1342年~1350年〈委譲・復職を繰返す。〉)

※元亨元年(1321年)、大谷廟堂を寺院化し、「本願寺」となる。
(応長2年〈1312年〉にに、「専修寺」の額を掲げるが、叡山の反対により撤去する。

※元弘元年(1331年)、『口伝抄』を著し、「三代伝持の血脈(けちみゃく)」を表明し、法灯継承を主張する。
(法脈…法然⇒親鸞⇒如信⇒覚如、血統…親鸞⇒覚信尼⇒覚恵⇒覚如)

存覚(1290~1373) …正和3年(1314年)、留守職継承。
(~1322年、1338年~1342年〈覚如により、解任・復職を繰返す。〉)

※観応元年(1350年)、覚如と和解する。
本願寺別当職(留守職に住持職を含めた役)は、善如に委譲。

第四代 善如 (1333~1389) …観応元年(1350年)、継承。

第五代 綽如 (1350~1393) …元中7年(1390年)、継承。
(継承後まもなく、寺務は巧如に委任。)

第六代 巧如 (1376~1440) …応永元年(1394年)、継承。

第七代 存如 (1396~1457)

第八代 蓮如 (1415~1499) …延徳元年(1489年)譲。

第九代 実如 (1458~1525)

第十代 証如 (1516~1554)

第十一代 顕如 (1543~1592)

(以降、真宗大谷派)

第十二代 教如 (1558~1614)

第十三代 宣如 (1604~1658)

第十四代 琢如 (1625~1671) …寛文4年(1664年)譲。

第十五代 常如 (1641~1694) …延宝7年(1679年)譲。

第十六代 一如 (僧) (1649~1700)

第十七代 真如 (東本願寺) (1682~1744)

第十八代 従如 (1720~1760)

第十九代 乗如 (1744~1792)

第二十代 達如 (1780~1865)1846譲

第二十一代 大谷光勝 (1817~1894) …明治22年(1889年)譲。

第二十二代 大谷光瑩 (1852~1923) …明治41年(1908年)譲。

第二十三代 大谷光演 (1875~1943) …大正14年(1925年)譲。

第二十四代 大谷光暢 (1903~1993) …平成5年(1993年)入滅に伴い移譲。

1993年~1996年の間は、お東騒動による混乱から門首不在となり、大谷演慧鍵役 (1914~2008) が、門首代行を務める。

第二十五代 大谷暢顕 (1930~) 1996年、門首継承。
現、門首。

参考…真宗大谷派手帳(真宗大谷派宗務所出版部 発行)

宗務出張所

政府その他中央の諸機関との連絡及び首都における施策の調整をはかるため、東京都に東京宗務出張所を設ける。
(宗憲 第六章第四節第五十九条)

教区

地方の宗務を運営するため、全国を教区に分け、各教区に教務所を設ける。
(宗憲 第六章第五節第六十条より)

なお、大谷派では、国内各教区の広域的な連携をはかり、各地域における聞法・弘教活動を一層推進することを目的として、連区制が定められている。
現在、「北海道・東北」「北陸」「東海」「近畿」「九州」の5連区が置かれている。

別院

別院は、教区又は開教区に所属させる。
(宗憲 第六章第五節第六十一条より)

別院に住職一人を置き、門首がこれに当る。
ただし、門首以外の者を住職とすることができる。
(宗憲 第七章第七十三条)

別院に輪番一人を置く。
輪番は、住職の職務を代掌し、宗教法人たる別院の代表役員となる。
(宗憲 第七章第七十四条)

同派の別院は、下記の通り56ヵ寺院が置かれており、設立の経緯は、下記の通りである。

宗祖や歴代門首等の旧蹟地、もしくは由緒地に設置される場合。

各地域における弘教の拠点地に設置される場合。

上記1、2の理由が複合的に作用して設置される場合。

地域的偏頗はあるもののほぼ全国(海外3)に置かれ、各地における聞法・弘教の拠点となっている。

批判

布教の概念を広く理解し、団体としては政治運動と直接の関わりを持たない伝統仏教各宗派とは大きく違い、他の真宗各派と共に社会的・政治的に踏み込んだ活動をすることから、政治運動的・左翼運動的過ぎであるという批判の声も内外からある。
また、大谷派や同派が加盟する真宗十派による真宗教団連合の活動内容が左傾化しているとして、そのことを憂慮し問題視する僧侶の一部や門徒有志による私的団体も存在する。

[English Translation]