真済 (Shinzei)

真済(しんぜい、延暦19年(800年) - 貞観_(日本)2年2月25日 (旧暦)(860年3月25日))は、平安時代前期の真言宗の僧。
父は巡察弾正紀御園。
高雄僧正・紀僧正・柿本僧正とも称される。
俗名は紀松永とする説がある。
僧でありながら、紀氏朝臣の姓を賜っていた。

空海に才能を見出され、824年(天長元年)24歳という異例の若さで阿闍梨となった。
836年(承和 (日本)3年)真然とともに唐へ渡ることを試みるが失敗し、以後12年間高雄山寺に篭って修行した。
この間、内供奉十禅師・神護寺別当・権律師・東寺二長者に任じられている。
856年(斉衡3年)僧正に任じられたが真済はこれを辞退し、師である空海に大僧正が追贈された。
860年(貞観2年)に61歳で没し、松光山大光院に葬られた。

詩文にも優れ、空海の著作・詩文を集めた「性霊集」を編集している。

[English Translation]