真言宗大覚寺派 (Shingon Sect Daikakuji School)
真言宗大覚寺派(しんごんしゅうだいかくじは)は、日本における真言系仏教宗派のひとつで、古義真言宗に属する。
大本山は大覚寺。
宗祖 弘法大師(秘鍵(ひけん)大師)
宗紋
大覚寺紋
寺格(順不同)
大本山 大覚寺(京都市右京区)
準大本山 大山寺 (伊勢原市)(神奈川県伊勢原市)
別格本山 覚勝院(京都市右京区)、高山寺(兵庫県丹波市)、薬王寺(広島市西区 (広島市))、大聖寺(岡山県美作市)、高山寺(岡山県井原市)、萩原寺(香川県観音寺市)、観音寺(香川県観音寺市)、宝珠寺(香川県観音寺市)、極楽寺(香川県さぬき市)、地蔵院(徳島市)、興願寺(愛媛県四国中央市)、大悲王院(福岡県前原市)、大智院(長崎県佐世保市)
準別格本山 215寺
その他の寺院
沿革
真言宗大覚寺派の歴史は、大覚寺の開創に始まる。
嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院で、空海が五大明王を彫刻して五覚院を建てた。
疫病流行の際には、嵯峨天皇宸翰の般若心経を講読して、心経堂に納入した。
876年(貞観_(日本)18年)淳和天皇皇后正子内親王の令旨により開創され、淳和天皇第二皇子恒寂法親王が賜り、入寺して、大覚寺の伽藍を整備した。
918年(延喜18年)、宇多天皇が大覚寺で両部潅頂を受け、1268年(文永5年)には後嵯峨天皇が入寺、21世門跡に就任、続いて、亀山天皇も入寺し、22世門跡になった。
1307年(徳治2年)~1321年(元亨元年)、後宇多天皇は院政を行い、大覚寺塔頭・蓮華峰寺を仙洞御所とした。
このとき、諸堂を整備したため、後嵯峨天皇を中興の祖と称する。
南朝 (日本)系の大覚寺統の天皇とゆかりがある。
1336年(建武 (日本)3年)全焼。
1392年(元中9年)、南北朝時代 (日本)の動乱を経て、南北朝和議の場として使用された。
応仁の乱では全焼したが、豊臣氏・徳川氏の保護もあり、伽藍を再建し、門跡寺院として繁栄したが、江戸時代末期に衰退した。
明治時代の始めには無住となったが、47世門跡・玉諦、48世門跡・龍暢らの尽力で復興した。
1925年(大正14年)には、真言宗高野派・真言宗東寺派と合同して、古義真言宗に属したが、太平洋戦争中に、政府の宗教政策により、古義真言宗と新義真言宗の合同が計られ、大真言宗に統合された。
1949年(昭和24年)、大真言宗を解消して、真言宗大覚寺派と公称して現在に至っている。
宗務組織
管長(大覚寺門跡が兼任する)
宗務庁(大本山・大覚寺内に設置)
執行(執行長を置く)
宗務総長(下記の各部を統括)
庶務部
教学部
財務部
管財部
出版部
宗議会(真言宗大覚寺派宗会を設置)・宗議員20名(任期3年・教区長9名、被選挙人9名、大覚寺耆宿者の互選者2名)
地方宗務(47都道府県を以下の9教区関東地方・東海地方・近畿地方・淡路島・徳島県・四国第一・中国地方・福岡県・九州第一に分けて宗務を行う)
各教区には教区長1名を置く。
管長の裁量で副教区長を置く場合がある(教区長・副教区長とも管長が任命し、任期は3年)また、教区内に幹事(代議員・組長を教区長が任命する)を置くことがある
僧階(全15階級)・布教師教階
級数・僧階・昇階までの年数
1級 大僧正
2級 権大僧正・7年
3級 中僧正・5年
4級 権中僧正・5年
5級 少僧正・5年
6級 権小僧正・5年
7級 大僧都・5年
8級 権大僧都・5年
9級 中僧都・3年
10級 権中僧都・3年
11級 少僧都・3年
12級 権小僧都・3年
13級 大律師・1年
14級 律師・1年
15級 権律師・1年
布教師階級
主教
弘教
示教
司教
補教
住職資格
教師(得度、度牒を受け、四度加行を行い、伝法潅頂を受けた者)の資格を持ち、管長より任命された者
教育機関
嵯峨伝燈学院(大覚寺内に設置。
院長は大覚寺門跡。
真言宗大覚寺派の僧侶の修行養成を行う。
年限は1年間)
種智院大学(協同経営)
洛南高等学校・附属中学校(協同経営)
嵯峨御流華道総司所
嵯峨華道専門学校
嵯峨書道学院
京都嵯峨芸術大学
行事
宗祖の遠忌法要(50年ごとに行う)
教義
古義真言宗の教義に準じる。