行意 (Gyoi)
行意(ぎょうい、1177年-1217年?)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての天台宗の僧。
父は関白太政大臣藤原基房。
兄弟に左大臣藤原隆忠、摂政松殿師家、天台座主承円、興福寺別当実尊などがいる。
山科僧正とも称される。
新三十六歌仙の一人。
従兄弟にあたる覚尊僧正の室に入り、出家。
1193年(建久4年)一身阿闍梨となり、1197年(建久8年)真円から伝法灌頂を受けた。
土御門天皇・順徳天皇両天皇の護持僧をつとめ、1204年(元久元年)と1211年(建暦元年)には修明門院藤原重子のために五檀法を修し、1207年(承元元年)には土御門天皇の病気平癒を祈願して北斗法を修している。
1216年(建保4年)には園城寺長吏に任じられ、崇福寺別当を兼任した。
行意は和歌にも秀でており、1214年(建保2年)の内裏歌合などの歌合に参加している。
「新勅撰和歌集」以下の勅撰和歌集にも入集している。