行空 (Gyoku)
行空(ぎょうくう、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての浄土宗の僧。
美濃(一説では美作)の人と伝えられる。
房名は法本房。
法然の有力な弟子。
元久元年(1204年)の比叡山の僧徒が、時の天台座主真性に対して専修念仏停止の訴えを起こした。
法然は「七箇条制誡」に門弟らが署名を添えて延暦寺に送って一端は収束した。
この40番目に行空の署名が見える。
ところが翌年(1205年)、興福寺の僧徒らが『興福寺奏状』をもって再び専修念仏停止の訴えが起こった。
行空は「一念往生義」を立てているので流罪にせよと訴えられた。
そして建永元年(1206年)、遵西とともに流罪に処せられ、法然より破門された。
なお、この2名の流罪では収まらず、翌年承元の法難へと発展した。