覚助 (仏師) (Kakujo (a sculptor of Buddhist statues))

覚助(かくじょ、生年不詳 - 承暦元年(1077年))は、平安時代中期の仏師。
定朝の子とも弟子とも言われている。
七条仏所の祖。

事績については、1059年(康平2年)の法成寺阿弥陀堂・五大堂の造仏についてが初見である。
1067年(治暦3年)興福寺金堂などの造仏を行った功により法橋に任じられ、翌1068年(治暦4年)には法眼となっている。
1077年(承暦元年)法勝寺の造営中に没してしまったが、その後は弟子の院助が引き継いで完成させている。

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