覚尋 (Kakujin)
覚尋(かくじん、治安 (元号)元年(1021年) - 永保元年(1081年))は平安時代中期の延暦寺の僧。
父は左馬頭藤原忠経(権大納言藤原道頼の子)。
第32代天台座主の明快の入室弟子としてその門下に学ぶ。
承保2年(1075年)から始まった法勝寺の造営に当たってはその導師を務め、承暦元年(1077年)の落慶供養の際にはその権別当に就任した。
同年、第35代天台座主に就任。
権僧正、法成寺座主を歴任し、金剛寿院座主と号した。
護持僧として仕えた後三条天皇、次代の白河天皇からの信任篤く、聖俗多岐に渡る相談事に与った。
また、門下に大谷座主こと忠尋を育てている。