覚阿 (Kakua)

覚阿(かくあ、康治2年(1143年) - 没年不詳)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての天台宗の僧。
俗姓は藤原氏。

比叡山で得度し天台教学を学ぶ一方、禅に志し1171年(承安 (日本)元年)法弟の金慶とともに中国(南宋)に渡った。
法名が高かった杭州霊隠寺の仏海禅師慧遠に師事して参禅、印可を受けて日本に帰国した後、比叡山に住した。
日本に帰国した後も慧遠に報謝の品や書簡を贈っている。
なお一説によれば、高倉天皇が禅の要旨を問うために覚阿を宮中に召し出した際、笛の一吹をもって答えたところ、天皇に理解されなかったと伝えられている。

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