鉄牛道機 (TETSUGYU Doki)

鉄牛道機(てつぎゅう どうき、寛永5年7月26日 (旧暦)(1628年8月25日) - 元禄13年8月20日 (旧暦)(1700年10月2日))は、江戸時代前期の黄檗宗の禅僧。
号は自牧子。
諡号は大慈普応国師。
長門国の生まれ(石見国とする異説もある)。

生涯

因幡国龍峯寺(鳥取県鳥取市)で修行後、長崎市に滞在していた隠元隆き(いんげん りゅうき)に参禅して萬福寺創建に従事した。
ついで隠元の高弟木庵性トウ(もくあん しょうとう)に師事して鉄牛道機と名を改め、その法を嗣いだ。
教禅一致の立場に立って教化につとめ、宇治黄檗山萬福寺の造営に尽くし、京都洛西葉室浄住寺を中興、相模国小田原紹太寺、江戸弘福寺などの開山となる。
鉄眼道光の「大蔵経」の開版に協力し、下総国匝瑳郡の椿海の干拓などの社会事業にも力を入れた。
その後、人々に乞われて椿海跡地近くに福聚寺 (東庄町)(千葉県東庄町)を建ててそこで没した。

[English Translation]