余慶 (Yokei)

余慶(よけい、延喜19年(919年) - 正暦2年2月18日 (旧暦)(991年4月5日))は、平安時代中期の天台宗の僧。
俗姓は宇佐氏。
筑前国早良郡の出身とされるが、一説によれば日向国の出身ともいう。
諡号は智弁。
観音院僧正とも言われる。

比叡山の明仙から天台教学を学び、行誉から灌頂を受けた。
979年(天元 (日本)2年)に園城寺長吏となり、981年(天元4年)には法性寺座主となっているが、円仁の流れを組む山門派の反対により辞任している。
989年(永祚 (日本)元年)延暦寺座主に就任しているが、これも山門派の反対にあい3ヶ月で辞任している。
しかし、同じ年には権僧正に任じられている。
当時の宣命(天皇の命令書)の文中には山門派の門徒のことを獅子身中の虫と断じている。
円珍の門流である寺門流は余慶によって発展し、その後山門派・寺門派の対立が激しくなるきっかけとなった。

[English Translation]