太岳周崇 (Taigaku Shusu)
太岳周崇(たいがくしゅうすう、貞和元年/興国6年(1345年) - 応永30年9月14日 (旧暦)(1423年10月18日))は、南北朝時代 (日本)から室町時代中期にかけての臨済宗の僧。
諱は周崇。
字は太岳。
全愚道人と号する。
俗姓は一宮氏。
阿波国の出身。
京都臨川寺の黙翁妙誡に師事して出家。
受戒し、その後は京都等持寺・鎌倉円覚寺などで修行した。
室町幕府3代将軍足利義満の帰依を受けた。
1402年(応永9年)に京都相国寺の住持となり、ついで天竜寺に移った。
1404年(応永11年)に鹿苑僧録(ろくおんそうろく)に任じられ、10年間その職をつとめた。
漢書に通じ、また神泉苑での祈雨に優れその効験もあったという。