富士門流 (Fujimon School)
富士門流(ふじもんりゅう)は、日蓮系の諸宗派のうち、日蓮の6人の高弟「六老僧」のひとり日興の法脈を継承する諸本山とその末寺に対する総称のひとつ。
中世-近世以来もちいられてきた古くからの総称としては、他に日興門流、大石寺派など。
明治時代に単一の宗派を形成したこともあったが、その後分裂や日蓮宗との合同などをへて、現在、富士門流の主要本山8ヶ寺のうち、5ヶ寺は日蓮正宗をはじめいくつかの独立した宗派を形成、3ヶ寺は、組織上は日蓮宗に所属しつつ、教義面では、この門流の伝統の勝劣派・日蓮本仏論を維持している。
教義
勝劣派、すなわち所依の経典法華経二十八品を前半の「迹門」、後半の「本門」に二分、本門に法華経の極意があるとする一派に属する。
(これに対し、二十八品全体を一体のものとして扱うべきとする一派が「一致派」)。
日蓮を「久遠の本仏」とする。
富士門流の主要寺院と現在の所属宗派
富士五山(静岡県内)
大石寺(日蓮正宗)
重須本門寺(日蓮宗)
西山本門寺(単立)
妙蓮寺 (富士宮市)(日蓮正宗)
小泉久遠寺(日蓮宗)
興門八本山
富士五山
要法寺(京都府、 日蓮本宗)
保田妙本寺(千葉県、 単立)
伊豆実成寺(静岡県、 日蓮宗)
歴史
古くは富士門流・日興門流・大石寺派と称し、浄土真宗にみられるような強固な単一組織はつくらなかったが、人的交流、学問的交流を通じ、ゆるやかに結びついていた。
明治維新直後の廃仏毀釈の後、明治政府は仏教各派に対し一宗一管長制を打ち出し、1872年(明治5年)日蓮を宗祖とする諸門流は日蓮宗を形成した。
この日蓮宗はまず、1874年(明治7年)教義の違いから一致派と勝劣派に分裂、富士門流は勝劣派に属した。
さらに、1876年(明治9年)日蓮宗勝劣派は教義や門流の違いにより解体、富士門流は興門八本山の本山、末寺からなる統一教団として本門宗を組織した。
宗務院は静岡県富士宮市の重須本門寺におかれ、八本山より輪番制で管長法主を選出するなどの組織機構が整えられ、1899年(明治32年)には本門宗と改称した。
しかし、1900年(明治33年)大石寺とその末寺87ヶ寺が日蓮宗富士派として分離、1912年(明治45年)6月に日蓮正宗と改称して現在に至る。
1941年、当局は宗祖を同じくする仏教諸派に組織を統合するよう圧力をかけ、それまで9派あった日蓮系の諸宗派は4派に統合された。
富士門流においては、日蓮正宗がそのまま独立を保ったが、本門宗は、顕本法華宗、日蓮宗とともに「三派合同」を行った。
1945年、終戦によって統合の強要はなくなったが、富士門流の七本山とその旧末寺は、単一の宗派として独立を回復することはなかった。
重須本門寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺の三本山とその旧末寺、および西山本門寺の旧末寺全12ヶ寺は「合同」を維持。
要法寺とその末寺約50ヶ寺は、1950年、日蓮本宗として日蓮宗から独立。
旧末寺34ヶ寺は「合同」を維持して日蓮宗に残留。
妙蓮寺 (富士宮市)とその旧末寺6ヶ寺は、1950年12月、日蓮正宗に合流。
旧末寺1ヶ寺は「合同」を維持して日蓮宗に残留。
西山本門寺は、1957年3月、本山のみ単独で日蓮正宗へ合流。
のち単立の宗教法人として独立。
保田妙本寺とその旧末寺4ヶ寺は、1957年4月、日蓮正宗に合流。
1993年、保田妙本寺は単立の宗教法人として独立。
旧末寺9ヶ寺は「合同」を維持して日蓮宗に残留。
かつて本門宗の総本山で、宗務院がおかれていた重須本門寺は、日蓮宗の七大本山のひとつに列せられ、富士門流の他の本山や末寺とともに、一致派、本仏釈迦本仏論が主流の日蓮宗の内部で、日興門流独自の教義を維持している。
重須本門寺とその旧末寺36ヶ寺
小泉久遠寺とその旧末寺4ヶ寺
伊豆実成寺とその旧末寺4ヶ寺
妙蓮寺 (富士宮市)の旧末寺1ヶ寺
保田妙本寺の旧末寺9ヶ寺
京都要法寺の旧末寺34ヶ寺
西山本門寺の旧末寺12ヶ寺