寛遍 (Kanpen)

寛遍(かんぺん、康和2年(1100年) - 永万2年6月30日 (旧暦)(1166年7月28日))は、平安時代後期の真言宗の僧。
父は大納言源師忠。
尊勝院大僧正・忍辱山大僧正とも称される。

山城国円教寺の寛蓮に師事して出家し、寛助に灌頂を受けた。
その後大和国忍辱山円成寺を再興し、一字金輪法を日課とした。
広隆寺別当・東寺長者・東寺法務・東大寺別当・仁和寺別当・円教寺別当を歴任し、1161年(応保元年)大僧正に至った。
この間には、高野山大塔落慶供養の導師をつとめ、また、尊寿院を建立し、鳥羽天皇の皇后美福門院(藤原得子)が寄進した「御手印縁起」を尊寿院におさめた。
事相にすぐれ、その後忍辱山流の祖とされる。

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