日尊 (Nichizon)
日尊(にちぞん、1265年(文永2年) - 1346年(興国6年))は、日興の弟子。
鎌倉時代中期から後期にかけての日蓮宗の僧。
日蓮本宗第4代。
奥州亀卦川家(きけがわけ)の出身。
太夫阿闍梨と称する。
京都要法寺の開山。
重須談所〔北山本門寺〕境内には、日尊上人腰掛石がある。
日興は重須談所で弟子の育成に努めたが、1299年(正安元年)秋、講義の最中に窓の外を舞い落ちる梨の葉に気をとられた日尊を破門にした。
破門された日尊は一念発起し、諸国を巡り36箇寺を建立したと伝えられている。
破門されてもなお毎年、重須談所のお会式には必ず参詣に来た。
しかし本堂に入ることは許されないため、人知れず門の外の石に腰掛て参詣した。
後、日興に破門を許されて36幅の曼荼羅を授与されたという。
日興の滅後、日目の天奏に付き従い、日目の遺志を継いで天奏を行った。
その後、京都方面で布教を行った。
略歴
1265年(文永2年)、日尊生まる。
幼少にて天台僧として出家す。
1283年(弘安6年)、奥州三迫六町目の地頭所で日目に師事する〔19歳〕。
1284年(弘安7年)、日蓮大聖人3回忌。
日目と共に久遠寺に登り日興に師事する。
1290年(正応3年)、大石寺創建と同時に塔中・久成坊を開く。
1299年(正安1年)、重須にて日興より破門される。
1308年(延慶 (日本)1年)、日尊は諸国を遍歴し、京都山城に法華堂(後の要法寺)を開いた。
1333年(正慶2年/元弘3年)春、日尊は、師の日目に随って天奏(天皇に仏法を説くこと)にのぞみ、京に向かう途中、美濃の垂井で日目が遷化(死亡)すると、その意志を継いで入洛した。
1334年(正慶3年/建武 (日本)1年)春、日尊は後醍醐天皇に天奏を行った。
その功績によって皇室より六角油小路に寺地を寄進される。
1336年(延元1年/建武3年)、日尊は六角油小路に法華堂(後の上行院)を開く。
1342年(興国3年)10月13日、日尊は会津実成寺から弟子の日印を招いて上行院を授けた。
1346年(興国6年)5月8日、京六角上行院開基〔京要法寺4代〕太夫阿日尊寂(81歳)