明覚 (Myogaku)
明覚(みょうがく、天喜4年(1056年) - 没年不詳)は、平安時代後期の天台宗の僧。
読み方についてはめいかくとも読む。
温泉房または唯心房(存疑)と号した。
比叡山に入って覚厳に師事して天台教学を学んだ。
比叡山に五大院を開創した安然(841年?-915年?)を慕って悉曇学を修学し、加賀国温泉寺に移りそこに住した。
悉曇学に関する著作を残し、後世には悉曇学の祖と仰がれた。
また、経典の訓点でも多くの業績を残した。
著書は『悉曇要訣』『梵字形音義』『反音作法』など。
彼は諸著書の中で仮名による反切の方式を述べ、「五十音図」を示している。
また『法華経』の音義を編したかと考えられ、漢字音を韻尾音によって独自の範疇を設け、独特な反切、uとugの区別、連濁などの符号の記述などが見られる。
この音義はのちに「明覚三蔵流」と称せられ、和訓が付加されて流布した。
なお『法華経単字』の反切はこれと大部分が一致し、これと同じ系列の音韻学に拠ったと思われる。