清順 (Seijun)
清順(せいじゅん、生年不詳 - 永禄9年4月3日 (旧暦)(1566年4月22日))は、戦国時代_(日本)の臨済宗尼。
伊勢神宮の式年遷宮復興に尽力した。
慶光院3代住持。
紀伊国熊野郡出身とも近江国出身とも言われる。
慶光院2世宝山智珪に師事して後に慶光院を譲られた。
天文_(日本)18年(1549年)に五十鈴川にかかる宇治橋 (伊勢市)の架け替えのために諸国行脚をして勧進を行い成功を収める。
後奈良天皇はその報を聞いて、特に清順に上人号贈り、その庵に「慶光院」の号を授けた。
その後、100年以上途絶えいていた伊勢神宮の式年遷宮再興のために再び勧進比丘尼として諸国を行脚、永禄6年(1563年)、まず豊受大神宮の遷宮を実現させた。
続いて皇大神宮の遷宮のための勧進を計画するが間もなく病没した。
その後、門人たちによって天正13年(1585年)に内宮外宮同時の神宮式年遷宮が実現することになった。