縁覚 (Engaku (縁覚: cause-awakened one))

縁覚(えんがく、pratyekabuddha、paccekabuddha、サンスクリット:)とは、仏教やジャイナ教において、師なくして独自にさとりを開いた人をいう。
旧訳ではサンスクリット原語あるいはその俗語形からの音写で、辟支仏(びゃくしぶつ)と訳す。
また独覚とも漢訳される。

仏教では、十二因縁を観じて理法をさとり、あるいはさまざまな外縁によってさとるゆえに縁覚という。
独覚は、仲間をつくって修行する部行独覚と、麒麟の一角の如く独りで道を得る麟角喩独覚とに分ける。
大乗仏教ではこの立場を自己中心的なものと考え、声聞とともに二乗と呼んで下に見る。

特に天台宗では、仏の世で十二因縁を観じて覚ったものを「縁覚」、無仏の世で飛花落葉などの外縁を観じて覚ったものを「独覚」と区分している。

[English Translation]