顕本法華宗 (Kenpon Hokke Sect)
顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)は、日蓮を宗祖とし、日什を派祖とする、日蓮門下の一派である。
宗祖
日蓮
派祖
日什
総本山
妙満寺(京都府京都市)
概要
京都妙満寺を総本山とする日蓮系の宗派である。
古くは日蓮宗妙満寺派、日什門流とも称す。
本多日生上人
慶応3年、姫路藩国友堅次郎の二男として生まれ、菩提寺の本多日鏡の嗣子となる。
哲学館(後の東洋大学)に学ぶ。
宗門の積弊不振を概き、24歳教務部長となり教学布教に振るうも、宗門内の怨恨をかって、突如剥牒処分となる。
正義貫徹のため、顕本法華宗義布教所を各地に開設し東奔西走す。
各宗協会から師を宗門に復帰させよの声起こり、僧籍に復し妙満寺派綱要を編す。
顕本法華宗と宗名を改す。
仏教界の退廃と日蓮門下の分裂を憂い、各教団有志を募って統一団を結成。
後、各界の名士からなる天晴会、その他講妙会、婦人のための地明会、労務者のための自慶会等を創す。
日蓮聖人の唱える本仏・釈尊中心の仏教と、人生に勇気と慈悲を持って歩む信仰の感激を全国に展開し活躍す。
昭和6年、65歳寂。
沿革
1389年(嘉慶 (日本)3年)に日什は妙満寺(京都府)を建立する。
1608年(慶長13年)に徳川家康は妙満寺(京都府)日経と浄土宗の廓山を江戸城にて宗論(慶長宗論)させ、日経は耳と鼻を削がれ酷刑となる。
1872年(明治5年)に一宗一管長制により、日什門流は日蓮門下の諸門流と連合する。
1874年(明治7年)に日什門流は日蓮宗勝劣派に属する。
1876年(明治9年)に管長設置により、日什門流は妙満寺派と公称し、日蓮宗勝劣派は解体する。
1898年(明治31年)に妙満寺派は顕本法華宗と公称する。
1941年(昭和16年)に宗教団体法により、顕本法華宗と本門宗と日蓮宗が合同し、日蓮宗と公称する。
1947年(昭和22年)、日什門流の約380ヶ寺のうち、妙満寺(京都府)をはじめとする約200ヶ寺が日蓮宗から再独立、顕本法華宗と公称する。
日什門流の180ヶ寺は日蓮宗に残留。
現在の本山、上総十ヶ寺(七里法華)の所属状況は以下の通り。
顕本法華宗:大本山妙満寺、本山会津妙法寺、本山品川天妙國寺、本山京都寂光寺、上総十ヶ寺=土気善勝寺、土気本壽寺、本納蓮福寺、東金本漸寺、北之幸谷妙徳寺、松之郷本松寺。
日蓮宗:本山会津妙國寺、本山飯田本興寺、本山見附玄妙寺、本山吉美妙立寺、上総十ヶ寺=大網蓮照寺、宮谷壇林本國寺。
単立:本山品川本光寺、上総十ヶ寺=東金最福寺、田中法光寺。
妙満寺貫首は305世中村日玄貫首。