先代旧事本紀 (Sendai Kujihongi)
『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の歴史的書物である。
学術的には偽書とされている。
ただし、部分的には資料的に価値があるとする見解もある(後述)。
『旧事紀』(くじき)、『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう。
全10巻からなり、天地開闢 (日本神話)から推古天皇までの歴史が記述されている。
なお『先代旧事本紀大成経』(延宝版)他2本は、これを基に創られた江戸時代の偽書(古史古伝))である。
成立・著者
序文には推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したもの(『日本書紀』推古天皇28年(620年)に相当する記述がある)とある。
このことなどから、平安時代中期から江戸時代中期にかけては日本最古の歴史書として『古事記』・『日本書紀』より尊重されることもあった。
しかし、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられるようになり、徳川光圀や伊勢貞丈らの研究によって偽書であることが明らかにされた。
本書の成立は、実際には大同 (日本)年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前と推定されている。
本文の内容は『古事記』・『日本書紀』・『古語拾遺』の文章を適宜継ぎ接ぎしたものが大部分であるが、それらにはない独自の伝承や神名も見られる。
また、物部氏の祖神であるニギハヤヒ(にぎはやひのみこと)に関する独自の記述が特に多く、現存しない物部文献からの引用ではないかと考える意見もある。
編纂者の有力な候補として、国学者御巫清直(みかんなぎきよなお 1812-92)は明法博士の興原敏久(おきはらのみにく)を挙げている。
この人物は物部系の人物(元の名は物部興久)であり、彼の活躍の時期は『先代旧事本紀』の成立期と重なっている。
編纂者については、興原敏久説の他に、石上神宮の神官説、石上宅嗣説、矢田部公望説などがある。
評価
本書は序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したものとあるため、中世の神道家などに尊重された。
鎌倉時代の僧・慈遍は、『先代旧事本紀』を神道の思想の中心と考えて注釈書『舊事本紀玄義』を著し、度会神道に影響を与えた。
室町時代、吉田兼倶が創始した吉田神道でも『先代旧事本紀』を重視し、記紀および『先代旧事本紀』を「三部の本書」としている。
序文に書かれた本書成立に関する記述に疑いが持たれることから、江戸時代に水戸光圀、多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らに、偽書とされて以来、偽書であるとの評価が一般的である。
明治以降、序文に書かれた本書成立に関する記述に関してはともかく、本文内容に関しては偽書ではないとする学者もあったが、近年の研究では、内容そのものの整合性や、他の文献との整合性から、全体的には偽書であるとする評価が固まりつつある。
ただし、巻三の「天神本紀(てんじんほんぎ)」の一部、巻五の「天孫本紀(てんそんほんぎ)」の尾張氏、物部氏の伝承(饒速日尊に関する伝承等)と巻十の「国造本紀(こくぞうほんぎ)」には、他の文献に存在しない独自の所伝がみられる。
「天孫本紀」には現存しない物部文献からの引用があるとする意見もあり、国造関係史料としての「国造本紀」と共に資料的価値があるとする意見が有力である。
構成
神皇系図 1巻 - 現在、欠けて伝わらない。
第1巻「神代本紀」「神代系紀」「陰陽本紀」天地開闢 (日本神話)、イザナギ神話。
第2巻「神祇本紀」アマテラスとスサノオの誓約、スサノオ追放。
第3巻「天神本紀」ニギハヤヒ神話、出雲の国譲り。
第4巻「地祇本紀(一云、地神本紀)」出雲神話。
第5巻「天孫本紀(一云、皇孫本紀)」物部氏、尾張氏の系譜。
第6巻「皇孫本紀(一云、天孫本紀)」日向三代、神武東征。
第7巻「天皇本紀」神武天皇から神功皇后まで。
第8巻「神皇本紀」応神天皇から武烈天皇まで。
第9巻「帝皇本紀」継体天皇から推古天皇まで。
第10巻「国造本紀」国造家135氏の祖先伝承。