大本神諭 (Omoto Shinyu (Divine Revelations))
大本神諭(おおもとしんゆ)はお筆先を編集した文書集
1892年(明治25年)、現在の住居表示で言うところの京都府綾部市本宮町に住む女性、出口なおに、艮の金神という男性の神格を表す高次の神霊が神懸りし、出口なおに筆と紙をもたせ、その神霊が出口なおの身体を駆使して文字を記していくという現象(自動書記(オートマティスム))があったと伝えられている。
その量は膨大であり、半紙にて5万枚以上にも及んだと伝えられている。
当時、行政当局により宗教法人設立が厳しく監視され制限されていたので、出口なおは一時同じく神道であるところの金光教の地方教会の世話になり、名を借りて活動を進めていた時代があったと記録されている。
その後、上田喜三郎 (後の出口王仁三郎)が活動を補佐するようになって組織的に発展していった。
宗教法人大本(以下、大本と略す)では、このとき書かれたものをお筆先と称して、大本の最高聖典となって残されている。
大本神諭はお筆先を編集した文書集であって、大本ではお筆先とほとんど同一であると見なされており、出口王仁三郎の霊界物語と対をなし、万葉集、古事記と並んで大本の三大聖典の一つとされている。
(大本では万葉集、古事記をも聖典として伝統的に扱っている)
出口なおと並んで大本の二大開祖の一人である出口王仁三郎は、後の著書道の大本にあるように、厳の御霊(出口なお)を審神者(さにわ)できる者は瑞の御霊である自分しかいない。と述べて出口なおに面会し、信頼を得た。
その後次第に両者は一つの大きな神意のもとに動かされていることを相互に実感し、一つの路線を歩むようになったと伝えられている。
この筆先はひらがなばかりの文字であるが、神の意志によりその様に記述されることが筆先の中に記されている。
その意志とは、一つには、とかく学問に縁遠い当時の婦女子にも読めるようにという事において、二つには物質文明を支える知識学識万能主義に対する警告として、であると現在では理解されている。
しかしながら句読点も漢字も当てられていないので、通読はしてもその意味は何通りにでも理解出来てしまい、出口王仁三郎出現以前は正確な判読が困難と考えられていた。
出口王仁三郎は大石凝真澄(オオイシゴリマスミ)らを始めとする国学者らから習得した言霊学(コトタマガク)と、古事記の新解釈によってこの筆先に句読点と漢字を当て、かくして編纂した大本神諭が生まれ、全編にわたって読みやすくなった。
一節には出口なおに懸かる神霊が、艮の金神に限らず国武彦命他、多数の憑依霊もあった、とされているが現在ではこれは誤りであり、単に当時の風説に過ぎなかったことが認められている。
しかし当時の状況下では、出口なおの筆先が、高次の神霊であるところの艮の金神の真性のものであるかを審査する基準が無かった事は、伝えられる通り事実であろうと推測できる。
憑霊状態が高次の神霊で、かつ善神によるものなのか、などを審理する能力を有するものを審神者(さにわ)という。
その様な背景の中、当時、審神者のエキスパートであった出口王仁三郎の審神力が必要とされていた。
「大本神諭」 の正当性を信じる者と疑う者と
一部のものからすれば大本神諭には疑問があるのかもしれない。
その疑問を呈する者は大筋次のように言う。
「この文書(当該大本神諭)は出口王仁三郎のみにしか筆先の編集作成は出来ない」にもかかわらず「海軍出身の浅野和三郎が筆先から神諭への編纂に携わったという逸話」があるのでその真偽を問う。と
また同様に次のように論証を試み疑義を醸している。
「また、出口王仁三郎が筆先から神諭へと編纂したと言われているが、当事者である出口王仁三郎も疑問に満ちたことを発言している。
すなわち「『年月日と組立等を、開祖なおに尋(たず)ね乍(なが)ら書いたのであるから、誌上の稿になったものと同じお筆先は実際にはありません』ということを大正8年、京都府警に発言しているが、この発言自体が物議を呼んでいる。」と
しかし大正8年京都府警での発言はかの有名な2度にわたる国家弾圧の「大本事件」まっただ中であるので、国家による弾圧、虐待、拷問の犠牲者を増やさないための方便であったのかも知れず、その点を考慮する必要があるから、一概に本件の信憑性に関わる発言であると判断するには至らない。
一方、当事者である宗教法人大本では、大本神諭に浅野和三郎らが編纂した箇所があるとは認められていない。
したがって、一部の疑問提供者達が主張する「(浅野和三郎らが)どの部分で、どれだけの量、またはどれだけのパーセンテージで編纂したのかは正確に判明していない」とする点は全く問題として扱われた形跡がないといって差し支えあるまい。
大本神諭が筆先をベースに生まれた文書であることは発表されてきている。
しかしそのことは、出口王仁三郎が高次の神霊の意志によって重要な部分に加筆を含めて編纂したという可能性を宗教法人大本が否定していると示すものではあるまい。
むしろ、出口なおを陰陽論でいうところの陰の働き、出口王仁三郎を同じく陽の働きとして捉え、両者が協力して陰陽が完成され、高次の神の意志が完成に近づくとする点において、東洋哲学的信仰論に近いのであるから、大本神諭のなかに出口王仁三郎の意図がかいま見られるとしても、そのことですなわち大本神諭の信憑性を疑う、という向きは無いと述べて自然なはずである。