祟り (Tatari)
祟り(たたり)とは、神や仏、人の霊魂が人間に災いを与えること、また、その災いを与えるときに働く超自然的な力のことである。
同じような語句として呪いもあるが、ニュアンスとしては祟りが神仏による懲罰の意味合いが強く、呪いは人為的な怨恨に基く意味合いが強い。
あるいは、「無理が祟って」などの表現にみられるように、原因が直接的に被害を与えるというよりも、どちらかというと間接的な影響が不幸な方向に働くといった、不完全な因果律を表現する場合に用いられる。
概要
日本の神は本来、祟るものである。
タタリの語は神の顕現を表わす「立ち有り」が転訛したものといわれる。
流行り病い、飢饉、天災、その他の災厄そのものが神の顕現であり、それを畏れ鎮めて封印し、祀り上げたものが神社祭祀の始まりとの説がある。
現在では一般的に、人間が神の意に反したとき、罪を犯したとき、祭祀を怠ったときなどに神の力が人に及ぶと考えられている。
何か災厄が起きたときに、卜占や託宣などによってどの神がどのような理由で祟ったのかを占ってはじめて人々に認識される。
また、罪を償いその神を祀ることで祟りが鎮められると考えられている。
神仏習合の後は、本来は人を救済するものであるはずの仏も、神と同様に祟りをもたらすと考えられるようになった。
これも、仏を祀ることで祟りが鎮められると考えられた。
しかしこれはあくまでも民間信仰、つまり一つの見解であり、仏教本来の考え方においては、祟りや仏罰を与えることはない。
怨霊による祟り
後に御霊信仰の成立により人の死霊や生霊も祟りを及ぼすとされるようになった。
人の霊による祟りは、その人の恨みの感情によるもの、すなわち怨霊である。
有名なものとしては非業の死を遂げた菅原道真(天神)の祟りがある。
清涼殿への落雷や醍醐天皇の死去などが祟りによるものと強く信じられるにいたった。
時の公卿は恐懼して道真の神霊を北野天満宮として篤く祀り上げることで、祟り神を学問の守護神として昇華させた。
このように、祟り神を祭祀によって守護神へと変質させるやり方は、おそらく仏教の伝来以降のものと考えられる。
それ以前の最も原始的な日本人の宗教観は「触らぬ神に祟りなし」のことわざどおり、御室の深奥でひっそりと鎮座する神霊を、機嫌を損ねて廟域から出ないように、ただ畏れて封印するものだったのかもしれない。
一方、怨霊として道真と並んで有名な平将門の将門塚周辺では天変地異が頻繁に起こったといい、これは将門の祟りと恐れられた。
時宗の遊行僧・真教によって神と祭られて、延慶 (日本)2年(1309年)には神田明神に合祀されることとなった。
また、東京都千代田区大手町にある将門の首塚は移転などの計画があると事故が起こるという話もある。
様々な祟り
全国各地にみられる「祟り地」の信仰も原始的な宗教観を映し出していると見ることが出来る。
祟り地とは特定の山林や田畑が祟ると恐れられているもの。
そこで木を伐ったり、所有したりすると家人に死者が出るという。
東海地方では「癖地」「癖山」などといわれる。
地方により「祟り地」「オトロシ所」「ばち山」「イラズ山」などの呼称がある。
こういった場所には昔、処刑場があったとか縁起の悪い伝承が残っていることが多い。
しかし、このような土地は古えの聖域、祭祀場であり、本来、禁忌の対象となっていたものが信仰が忘れられて祟りの伝承だけが残ったという見解もあり興味深い。
神木や霊木の祟りも全国によく見られる話である。
日本では今でも古くからの巨木・老樹に対する信仰が残っているが、民間にも老樹にまつわる祟り伝承がある。
信州には斧で切ると血を流したという一本松の伝説がある。
各地に似たような話が伝わっている。
同様に「動物霊」も祟ると考えられている。
特に猫の怨霊は恐れられ、「猫を殺すと七代祟る」といった俗信がある。
古来、祟るとされた動物
稲荷信仰においてキツネは神使とされ、三輪山信仰ではヘビが神の仮の姿とされる。
したがってこれらの動物を害した場合は報いを受けると信じられる。
それとは別に、九尾の狐や猫又・化け猫といった怪異譚から、狐やネコに人を祟る能力があるとする俗信も広く存在した。
猫にまつわるジンクスは西洋にも存在する。