英霊 (Eirei)

英霊(えいれい)とは「すぐれた働きをした人の死霊に対して敬意を込めて使う言葉」。
現在では政治的、思想的な論争の対象となることがある。

概要

日露戦争以降、特に国に殉じた人々、靖国神社・護国神社に祀られている戦没将兵の「忠魂」・「忠霊」と称されていたものを指して使われ始めた。
大東亜戦争(第二次世界大戦)後は殉職自衛官のものを指すこともある。
そのため、戦争によって亡くなった人全て(=戦没者)に対して「英霊」と呼ぶのは誤っていると指摘される場合もある。

それゆえ、軍人が対象になっていることが多いが必ずしも軍人限定ではない。
A級戦犯のうち文官で唯一処刑された広田弘毅や処刑されていない平沼騏一郎も靖国神社に合祀されているし、広島護国神社では広島市への原子爆弾投下の犠牲になった学徒動員および女子挺身隊も英霊として祀られている。
したがって、軍人かつ戦闘での死亡を意味する戦死(もしくは相手国による処刑)でなければ英霊になれないわけではない。

なお、戦病死(戦闘による死亡ではなく出征先で罹病し死亡)も靖国神社への合祀の対象になっている。
また、自衛隊員で殉職した場合には(OB会を通じて)護国神社へ合祀されるが靖国神社には合祀されない。

英霊という思想
神道の霊魂観においては、人が無くなった後も霊魂は不滅であり、祀られて鎮まった御霊(みたま)は子孫を見守る祖霊となる、とされる。
こうした考え方により、故人の生前の功績を称え、威徳を偲び、その後祖霊祭(年祭やお盆・お彼岸)では、亡くなられた方の御霊(みたま)を子孫は丁重に祀る。

このようにもともと、日本古来の神道には血のつながった子孫による「祖霊」信仰が存在するのであって、「英霊」という概念は存在しなかった。
だが、村落共同体では氏神信仰が生まれた。
また古代の天皇を中心とする政治体制下では怨霊に対する御霊信仰が新造され、荒ぶる神々も祀られ、鎮められるようになった。
「英霊」信仰はこのような氏神信仰・御霊信仰の亜種として捉えられている。

『日本人のための憲法原論』(小室直樹著)によれば、日本の伝統的宗教観から戦後の靖国神社を見れば、靖国で祀られるとされる英霊たちは英霊とはいえないという。

英霊とは顕彰される者であり、「天皇のために死んだ」という事実が顕彰されるのである。
戦後の天皇は絶対神(現人神)を否定した。
その絶対的な神である天皇がいなくなった戦後は、彼らの死は鎮魂されるべきものとなる。
つまり戦後の靖国神社には顕彰されるべき対象は存在しておらず、よって英霊ではないのである。
その霊は鎮魂され、水に流され、人々に恵みをもたらす神となるはずだった。
ところが靖国神社は存在しない絶対神の天皇の存在を前提として、彼らを英霊と呼ぶのである。

戦後、仏教関係者のなかで、仏教とは相容れない「霊」を祀り、英霊思想に従属したことへの反省も生れている。

現在では「英霊」は「国家神道」の教義の要素の中核の一つに位置づけられている。
菱木政晴は、世界には言語による教義表現を軽視する宗教もあり、宗教学や文化人類学の成果を用いることによって困難なく抽出可能であるとして国家神道の教義を以下のようにまとめている(「国家神道の宗教学的考察」「西山学報」1994年3月)。

聖戦 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。
(=覇権主義)

英霊 そうした戦闘に従事して死ねば神になる。
そのために死んだ者を祀る。

顕彰 それ(英霊)を模範とし、それに倣って後に続け。

そして、「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」(同前)と指摘している。

英とは
英とは、エイ・ヒデなどとも読み、秀でたものを指すように思われがちだが、実際には、ハナ・ハナブサとも読まれるわけで、これは、花(ハナ)のことを表し、特に実を付けぬ花、即ち「雄花」のことを意味する。
これは「無駄花・徒花(アダバナ)」といわれる。
文字は、決して都合よく一つの読みで意味を指すわけでなく、色々な意味を併せ持つと考えなくてはならない事を思うと英霊とは、言い得て妙な言葉だと見ることができる。

[English Translation]