角振隼総明神 (Tsunofurihayabusa-myojin)
角振隼総明神(つのふりはやぶさみょうじん)は、広島県安芸郡 (広島県)府中町に所在した角振神社の祭神である。
概説
それが、国内神名帳には「正四位三前」と記録されている。
角振隼総別命(つのふりはやぶさわけのみこと)とも言われる。
この角振神社は、平安時代中期の延暦三年(784年)から天慶三年(940年)までの156年間の間に、奈良市角振町にある隼神社より分祀建立されたものである。
隼神社は、江戸時代中期に村井古道によって著された『奈良坊目拙解』によると、以下のような記載がある。
「角振神は、火酢芹命の御子なり、隼神は父なり、父子二座を祀る。
少祠なく、柿の大木があり、神木と号す。
また、『奈良市史社寺編』での記載内容も『奈良坊目拙解』を踏襲している。
隼神とは、火酢芹命(ほすせりのみこと)のことである。
これは隼人族の祖であり、海幸彦とも呼ばれ、神武天皇の祖父で山幸彦とも言われている、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の兄にあたる。
神話で有名な「山幸彦と海幸彦」として知られている。
兄・海幸彦は、弟・山幸彦との戦いに敗れて、代々、宮城の警固に任じられた。
勝利した山幸彦は、天皇家の元を築いたと記紀で伝えられている。
角振神は、隼神とともに攘災神とされている。
春日大社中院に鎮座している椿本神社(角振大神を祭神とする)の説明書には「勇猛果敢な大宮の脊属神に坐し、天満退散・攘災の神様」とされている。
記録
『多聞院日記』の、天文12年(1543年)7月1日には以下の記載がある。
此の宮ハ角振ノ神トテ名誉ワ々シキ神也、山内ニオイテハ椿本神社是也、或時禁裏ニ御受戒ノ時、白昼ニ天狗共多ク出現シテ異類異形ノ物来タレリ、其時帝王今日ハ番ノ神ハ誰ソト被仰レシ時、角振ノ神也ト申ス時、浄衣ノオトハリハリトシテ御出仕の音シケレハ、天魔悉以消滅了ト申伝云々。
延慶2年(1309年)の『春日権現記絵』第4巻「天狗参入東三条殿事」には、関白・藤原忠実の東三条邸に忍び込んだ天狗法師を、角振明神の霊威によって追い払う話が見られ、その終わり部分に以下の記載がある。
…その御聲につきて春日大社神主時盛まいりて候けり、これをみて天狗法師どもみなにげうせにけり、つのふり、はやぶさの明神は春日御にて、御社におわします也。