サルタヒコ (Sarutahiko)
サルタヒコは、日本神話に登場する神 (神道)。
古事記および日本書紀の天孫降臨の段に登場し(日本書紀は第一の一書)、古事記では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、日本書紀では猿田彦命と表記する。
神話での記述
ニニギが天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。
そこで天照大神とタカミムスビはアメノウズメ(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。
その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。
邇邇芸尊らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸尊は天宇受売神に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った(日本書紀では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっている)。
そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。
猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。
猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村(現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。
この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神様が生まれた。
倭姫命世記(神道五部書の一)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。
大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。
解説
日本書紀には、天宇受売神は胸乳を露わにし裳帯(もひも)を臍の下に垂らしたとあるので、性的な所作をもって相対したことになる。
神話には書かれていないが、二神が結婚したと民間では伝えられているのは、この記述によるものと考えられる。
「鼻長八咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形とされる。
「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神であったとする説もある。
三重県鈴鹿市の椿大神社、三重県伊勢市宇治浦田の猿田彦神社がサルタヒコを祀る神社として名高い。
天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。
そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。
この場合、妻とされる天宇受売神とともに祀られるのが通例である。
また、祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をすることがある。
他にも滋賀県高島市の白鬚神社の祭神とされたことから白鬚明神の名でも全国各地に祀られている。
また子孫である大田命、伊勢神宮の興玉神とも同一視される。
さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされた。
複雑な神格を持つ。
こうしたことから、近年「謎の神」として鎌田東二などの学者にクローズアップされている。
常陸国の住人に猿田氏があるが、猿田彦の末裔であるとされる。
前述の椿大神社・猿田彦神社の宮司もともに古くから猿田彦の神孫として名高い。
手塚治虫の火の鳥 (漫画)シリーズには、「猿田」もしくは「サルタヒコ」という人物が多く登場する。
それらの多くが、鼻が大きいという身体的特徴を持っている。