御流神道 (Goryu-shinto)
御流神道(ごりゅうしんとう)とは、法親王などに相承される法流の神道。
両部神道が真言密教と密接に結びついて発達した。
本来は覚法法親王を流祖とする仁和寺の仁和寺御流(御室御流)のみを指したが、後に仁和寺御流から後宇多院が大覚寺で大覚寺御流を、守覚法親王が醍醐寺三宝院で三宝院御流を創始し、更にこれらの流派から分かれた慈尊院流・威徳寺流・真乗院流などを総称して御流神道と称した。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて成立したと考えられ、様々な灌頂儀式とともに伝承され、室町時代には密教的儀礼に基づいた御流神道加行法則が成立し、江戸時代初期には八十通印信の印信形式を整え、御流神道口決と呼ばれる口決も成立した。
だが、明治維新の神仏分離令によって解体させられたが、今日でも密教寺院にその印信・口決の名残を残している。