杉山城 (Sugiyama-jo Castle)
杉山城(すぎやまじょう)は、埼玉県比企郡嵐山町にあった城。
別名は初雁城。
概要
市野川左岸の山の上に築かれた山城である。
築城主は不明。
地元豪族の金子主水の築城によるとの伝承はあるが、文献資料 (歴史学)にはあらわれない。
従来、城の縄張りの観点から後北条氏の時代に造築されたものではないかとの見方が有力であったが、発掘調査にもとづく考古学的な知見からは山内上杉家時代の城である可能性が非常に強くなってきた。
なお、この縄張りを主とする城郭史的観点と考古学的観点の見解の相違を「杉山城問題」と呼ぶことがある。
検出遺構・出土遺物
検出遺構としては、土塁、曲輪、井戸跡などがある。
出土遺物には、かわらけ(中世土器)や古瀬戸様式がある。
史跡指定
2008年(平成20年)3月28日、すでに国の史跡に指定されていた菅谷館(嵐山町)に、松山城 (武蔵国)(吉見町)、小倉城 (武蔵国)(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに杉山城が追加指定され、「比企城館跡群」の名称で一括して国の史跡に指定された。
杉山城問題
杉山城の築城を山内上杉家によるものとする根拠は、山内上杉氏滅亡以前の時代的特徴を有する土器(かわらけ)の出土、古瀬戸の甕などの遺物の編年が山内上杉氏時代に属すること、他の城から出土するかわらけの分布を検討しても山内上杉氏の城として違和感がないこと、16世紀代の後北条氏時代の遺物が出土しないこと、さらに、後北条氏の時代の鎌倉街道を調査すると杉山の地は必ずしも要衝の地ではないのに対し、逆に山内上杉氏の時代だと要衝として重要視されるという立地条件などがある。
発掘調査はほぼ完全発掘に相当し、杉山城の築城が後北条氏によるものである可能性はきわめて低くなった。
近年、『足利高基書状写』に「椙山之陣」と記されている事が判明し、この書状の原本が天文 (元号)15年(1546年)の河越夜戦以前の史料であることは明白なことから、上記の調査成果とも合致する内容となっている。
一方、一部の縄張り研究者は、杉山城の縄張りが詳細な設計プランがないと施工不可能なことや、後北条氏の滝山城における3つの虎口との類似性から、後北条氏の築城であると主張している。
今後も、歴史学、考古学、城郭史など様々な観点からの議論の深化が望まれる。
アクセス
埼玉県比企郡嵐山町杉山614番地外
0.5キロメートルほど北西に関越自動車道の嵐山小川インターチェンジがある。