豊楽院 (Burakuin hall)
豊楽院(ぶらくいん)とは、宮城大内裏において朝廷の饗宴に用いられた施設。
概要
豊楽(ぶらく)とは和訓「とよのあかり」であり宴会を意味する。
豊楽院はその名の通り、饗宴施設として平安京遷都直後、大内裏の正庁である朝堂院の西側に隣接して造営された。
四方を築地塀で囲まれ、南に正門である豊楽門を構えていた。
新嘗祭、大嘗祭の宴のほか、正月慶賀、節会(せちえ)、射礼(じゃらい)、饗応などが行われ、正殿である豊楽殿には天皇列席の際に高御座(たかみくら)が置かれた。
朝廷の機能が徐々に内裏(天皇の私的住居)へ移行するに従って、朝廷の饗宴は紫宸殿で行われるようになり、その地位を低下させていった。
10世紀には廃墟同然のさまであったといわれ、1063年(康平6年)に全焼したのち、再建されることはなかった。
1987年から1988年にかけての発掘調査により、豊楽殿の遺構と遺物が発見され、国の史跡と重要文化財(考古資料)に指定されている。