京都銀行 (Bank of Kyoto, Ltd.)

株式会社京都銀行(きょうとぎんこう、The Bank of Kyoto, Ltd.)は、京都府京都市下京区に本店を構え、京都府を中心に営業している地方銀行である。

概要
京都府の指定金融機関。
企業キャッチフレーズは「飾らない銀行」。
奇抜なTVCM「ながーい、おつきあい」シリーズでも知られる。
英字表記は『The Bank of Kyoto』であるが、各店鋪やATMでは『The Bank for Kyoto』と記されている。

「京都銘柄」と称される京都企業の株式を多数保有し評価損益を多く抱えていること、バブル経済期にも比較的堅実な経営を続けていたことから、財務体質は良好で自己資本比率・信用格付けとも地方銀行の中で高水準にある。

預金量は5兆1123億円。
(2006年3月末)

2007年より、地元プロサッカークラブ京都サンガF.C.のユニフォーム袖スポンサーとなる。

健全性指標
以下は2006年9月中間期の指標
自己資本比率
単体:国内基準11.11%、国際統一基準14.66%
連結:国内基準11.39%、国際統一基準14.91%
(2006年9月30日現在)
格付け
格付投資情報センター:A+、スタンダード&プアーズ:A
(2006年11月1日現在)
有価証券評価益(含み益)
3,321億円(2006年9月30日現在)

店舗政策

京都府内の市町村と滋賀県・大阪府・奈良県・兵庫県・東京都に支店と出張所を持つ。

戦前までは、京都市内の銀行は東京市内(現、特別区)と同じくほとんどが都市銀行の支店であり、地元の地方銀行は小規模のものが数行存在していたに過ぎなかった。
しかも、結局そのいずれもが大手銀行への併合の道をたどり、京都大内銀行が富士銀行(現在のみずほ銀行)と当時福知山市に本店を置いていた当行に分割譲渡されたのを最後に、戦時中京都市内では地元の地方銀行が消滅してしまった。

このため、戦後は地域産業発展のため地元資本の地方銀行を求める声が起こり、元来丹波国・丹後国地区での戦時中の統合銀行であった丹和銀行(本店・福知山市)が京都市内に進出することになる。
1953年には本店を京都市の現在地(旧高島屋跡)に移転、京都市内における店舗の拡張として、都市銀行をはじめとした他銀行の支店の譲受や自主出店により店舗数を増やした。
その一方で1980年代に府外支店の大部分を整理している。

京都銀行はいわば後発であるため、京都市の指定金融機関にはなっておらず、また市内シェア(預金1兆円以上の金融機関のみで)も京都中央信用金庫や京都信用金庫、三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行などと分け合っているのが現状である。
(京都市内の預金は1兆円以下であるが、京都市内にはみずほ銀行や滋賀銀行、京都府南部には南都銀行も多店舗展開している)

近年は新たな収益源を獲得するため、再び京都府外への出店を積極的に進めている。
2000年以降、隣県の滋賀県や奈良県に加え、大阪府でも京阪間の鉄道沿線を中心に出店・融資攻勢を強め、大手銀行のほか、滋賀銀行、南都銀行などとしのぎを削っている。
兵庫県にも尼崎支店(2004年12月)、神戸支店(2005年9月)、川西支店(2007年10月)、六甲道支店(同11月)を開設するに至っているこれは旧兵庫銀行の経営破綻など、同県内に有力地銀が存在しない状況も大きく影響している(その為、京都銀行を含む県外地銀の進出攻勢が激しくなっている)。

ネット支店「京都銀行ネットダイレクト支店」がある。
また、京阪電気鉄道と提携してステーションATM「ステーションATMエキバンク」を主要駅に展開している。

沿革

1884年(明治17年):田中源太郎が亀岡銀行を設立(現在の亀岡市支店、楽々荘)。

1941年(昭和16年):両丹銀行(福知山)、宮津銀行(宮津)、丹後商工銀行(峰山)、丹後産業銀行(峰山)の4行合併により丹和銀行創立(本店福知山市)。

1943年(昭和18年):京都支店(現、七条支店)を開設。

1951年(昭和26年):株式会社京都銀行に商号変更。

1953年(昭和28年):本店を京都市に移転。

1982年(昭和57年):ディーシーカードと共同で京都クレジットサービスを設立

[English Translation]