伏見城 (Fushimi-jo Castle)
伏見城(ふしみじょう)は、現在の京都市伏見区にあった城。
「伏見桃山城」は史実にはない近代建築である(本文で詳述)。
概要
伏見城は豊臣秀吉によって、自身の隠居後の居所として造られたものが初めである。
歴代3度にわたって築城され、初めに指月山に造られたものを指月山伏見城、震災後に木幡山に移されたものを木幡山伏見城などと区別される。
さらに、木幡山伏見城は創建時である豊臣期と、関ヶ原の戦災後に再建された徳川期のものに分けられる。
秀吉の死後、その遺言によって豊臣秀頼は大阪城に移り、五大老筆頭の徳川家康が代わってこの城に入り政務をとった。
関ヶ原の戦いの際、家康の家臣鳥居元忠らが守っていたが、石田方に攻められ焼失している(伏見城の戦い)。
後に、家康によって再建され、廃城後はその建造物及び部材が各地に移築されている。
廃城後、城郭の一帯は桃畑として開墾されたため桃山と呼ばれた。
伏見城を通称桃山城というのはこのためである(織田・豊臣政権期の時代区分「安土桃山時代」や、その文化「桃山文化」などの呼称はこの通称から取られたもの)。
また、開墾にたずさわった一族の末裔は、吉村酒造蔵元の吉村家と伝えられているによると、伏見城跡に設けた堀内村の庄屋を代々務め、明治時代に同村の土地を皇室へ寄進したとの記述がある。
史実には直接の関係はない。
徳川期の天守は二条城に移築されたため史料が比較的残っているが、それ以前の天守については不明な部分が多い。
沿革
詳細は不明である。
1592年 - 豊臣秀吉が隠居所として宇治川沿いの低地丘陵である指月山に、後に破却した聚楽第の建物の一部を移築するなどして築城された(指月城)。
1596年 - 地震で倒壊したため、約500m離れた木幡山(現在の桃山)に新たに築城し直された(木幡山城)。
1598年 - 豊臣秀吉がこの城で死去する。
1600年 - 伏見城の戦いで焼失。
1601年 - 徳川家康により再建される。
1603年 - 「征夷大将軍宣下の儀式」に使用。
大坂の役の後、伏見城の役割は大坂城へ移り、江戸幕府にとってこの城の重要性は薄れたため、徳川家康の隠居後の1625年に廃城となった。
1964年 - 伏見城花畑跡に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、その目玉として模擬天守「伏見桃山城」が建設された。
2003年1月 - 伏見桃山城キャッスルランドが、経営母体である近畿日本鉄道のリストラの一環として閉園。
伏見桃山城は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存されることとなり取り壊しを免れた。
現在は公園として整備されている。
京都市が無償で譲り受けたが老朽化で内部非公開となっている。
2007年10月 - 時代劇映画「茶々 天涯の貴妃」撮影のため、望楼の下に虎の装飾や鯱を金色に塗り替えるなど大坂城に見立てて改装。
約1億円の改修費は東映が負担し大坂城としての改修は年内継続。
遺構
廃城に際して天守を始め多くの建物が他の場所に移築された。
有名なものでは二条城や常寂光寺などがあり、福山城 (備後国)には、櫓、城門、殿舎、湯殿、多聞櫓、土塀など特に多くの施設が移されている。
移築の伝承を持ち現存する主な施設を以下に挙げる。
なお、この内、移築が裏付けられているのは指月山の遺構である西教寺客殿と徳川期の遺構である福山城伏見櫓のみであることに留意されたい。
石垣
淀城(伏見区)
大阪城(大阪府大阪市)
城門
御香宮神社(伏見区)表門(大手門を移築)
西本願寺(下京区)唐門
二尊院(右京区)総門
観音寺(上京区)山門
瑞宝寺公園(兵庫県神戸市)
浄照寺(奈良県磯城郡田原本町)表門(伏見城高麗門を移築)
櫓
福山城(広島県福山市)伏見櫓(重要文化財)
殿舎
大通寺 (長浜市)(滋賀県長浜市)本堂(重文)
日暮御殿 - 都久夫須麻神社(滋賀県長浜市・竹生島)本殿(国宝)
その他
諸侯控え室 - 三渓園(横浜市中区 (横浜市))
移動式能舞台 - 福山城(広島県福山市)、現在は沼名前神社(広島県福山市・鞆の浦)(重文)
茶室 - 高台寺(東山区)時雨亭、傘亭(ともに重文)
軍議評定所 - 渡辺山守綱寺(愛知県豊田市)本堂
伏見御殿の襖絵 - 福山城(広島県福山市)