佐味田宝塚古墳 (Samida Takarazuka Tumulus)

佐味田宝塚古墳(さみたたからづかこふん)は、奈良県北葛城郡河合町に所在する古墳時代前期後半の前方後円墳である。

概要

佐味田宝塚古墳は、奈良盆地の南西部にある馬見古墳群にある。
墳丘は前方部を北東に向け全長111.5メートル、後円部直径60メートルである。
濠は確認されていない。

この古墳からは1882年(明治14年)に約30数面の銅鏡が出土した。
その中に家屋文鏡(かおくもんきょう)と呼ばれている直径22.9センチの大型鏡があった。
その鏡の文様は、この古墳に葬られた人々の居館を構成する家屋を表現したものである。

それらの家屋は、まつりごと(祭事・政事)や4世紀ごろの地域の首長の日常生活に使用されていたものと考えられている。

1985年度に墳丘の範囲確認調査が実施された。
墳丘の裾から出土した円筒埴輪列から、4世紀末から5世紀初頭頃に造られたものと考えられている。

家屋文鏡

鏡の背面には、中央にある紐(ちゅう、ひもを通す穴)を中心にそれぞれ形態を異にする四軒の家が表されている。
それらは、竪穴の家(A棟)、平屋建ての家(B棟)、高床の家(C棟)、高床の倉庫らしい家(D棟)である。

A棟は、住居と見られる竪穴式住居で、入口の扉は支え棒で持ちあげられ、そこにC棟と同じ露台と蓋がみえる。
A棟は他の3棟よりも大きな床面積を持って表現されている。
日常生活の場を表すたものと見られる。
このA棟と類似の竪穴式建物が奈良県天理市の東大寺山古墳から出土した鉄刀の柄の環頭に描かれている。

B棟は、入母屋形の屋根を持つ平屋建ての家である。
観音開きを思わせるような壁があり、基壇の上に建てられているところから大陸風な建築の影響を受けたと見られている。

C棟は、高床式で入母屋型の屋根を持つ家である。
一方の妻側に手すりをつけた梯子が、他方の妻側には露台が見られ、身分の高い人の家であることを示す蓋(きぬがさ、日覆い傘)がさしかけられている。
また、屋根の左右には稲妻形模様(いわゆる雷文の一種)が描かれ、その模様の中に人物像が配置されている。
祭祀儀礼や政治を行う中心になる建物であったろうと考えられる。
このC棟によく似た家形埴輪が大阪府八尾市の美園古墳の周濠から出土している。

D棟は、高床式の切り妻型屋根を持つ家で、一方に梯子がある。
高床の下は蓆様の仕切りが壁をつくり、収納空間をつくっている。

このうち平屋建ての家(B)と、高床の家(D)には、その左右に木の表現があるのは神木と考えられる。
他の2軒はりっぱな家だが、神木がない。
そのかわり、身分の高い人の家を示す入り口に立てかけられた日覆いの傘(蓋)がある。

A棟を除く3棟の上には、それぞれ二羽の鳥が表されている。

家屋文と類似の家形埴輪

家屋文と類似する家形埴輪が各地から出土している。
埴輪では千葉県山武郡芝山町の殿部田(とのべた)1号墳や鳥取県東伯郡羽合町の馬ノ山古墳群中の長瀬高浜遺跡から古墳時代中期の様々なスタイルをした家形埴輪が、 出土している。
大阪府八尾市の美園古墳の周濠からA棟によく似た家形埴輪が、群馬県伊勢崎市赤堀町の赤堀茶臼山古墳から多種多様な8棟の家形埴輪が出土している。

[English Translation]