同志社大学今出川校地 (Doshisha University Imadegawa-kochi)

同志社大学今出川校地(どうししゃだいがくいまでがわこうち)は同志社大学のキャンパス。
同志社大学ではキャンパスのことを「校地」と呼んでいるため、この記事の名称も今出川校地となっている。

今出川校地は旧薩摩藩邸の跡地で、隣接して冷泉家時雨亭文庫がある。
また、南に京都御所、北に相国寺がある。
今出川校地内では同志社礼拝堂、クラーク記念館など、5棟が国の重要文化財に指定されている。
これらの建物は現在でも講義・事務所・礼拝等に使用されている。

校地内には同志社中学校が存在しているが、2010年度に岩倉校地にある同志社高等学校との統合と中学校跡地を大学が利用することが決定している。
また、同志社女子大学今出川校地、同志社幼稚園、同志社女子中学校・高等学校が隣接。

今出川・同志社大学新町校地・同志社大学室町校地の3校地は近接しており、ほぼ一体として利用されており、3校地を併せて今出川校地と呼ぶことが多い。

歴史

同志社大学の前身・同志社英学校時代以来の校地である。
幕末の1862年以降この地(当時は相国寺二本松と呼ばれた)には薩摩藩京都藩邸が置かれていた。
洋学者・山本覚馬(のち同志社英学校の創立者・新島襄の義兄・協力者となる)が明治維新の混乱の中で藩邸跡地を購入していた。
同志社英学校が1875年11月29日に開校した時には京都市上京区寺町丸太町上ルの高松保実の屋敷(現在は新島旧邸)の一角を借り、教室として寄宿舎として利用していた。
そのおよそ半年後の1876年山本からの寄贈をうけた現・今出川校地に建物が竣工し英学校が移転した。
当初は2棟(第一寮、第二寮)の建物で1階を教室、2階を寄宿舎として使用していた。
また、同志社はキリスト教主義であるが、当時の京都ではキリスト教を排除する傾向にあり、住民の反対運動が相次いだ。
そのため、今出川校地において教育を行う際に聖書を教えてはいけないとの契約を京都府とも結んでいた。
そこで新島襄は現在のアーモスト館あたりにあった元豆腐屋を新島名義で買い上げ、学校外のその場所で聖書を教えることとなった。
しかし、実際には学校内で聖書を教えていたところを京都府の役員に発見されて新島が始末書を書いたこともある。
レンガ造りの建物がほとんどを占める同志社の建物だが最初に建てられたものは木造であった。
同志社に初めて登場するレンガ造りの建物は1884年に完成したアメリカン・ボードより寄付された彰栄館(京都で現存する最古のレンガ造り)である。
第二寮はその後1970年代に京田辺校地に移築された。

使用学部

学部:神、文、社会、法、経済、商学部の各3~4年次および政策学部全学年
研究科:神学、文学、社会学、法学、経済学、商学、アメリカ、総合政策科学研究科
神学部、社会学部は2009年度に今出川校地へ統合。
文学部心理学科は心理学部として改組され2009年度に全学年京田辺校地へ移転。
文学部、法学部、経済学部、商学部も2013年度までに今出川校地に統合が予定されている。

教育施設

弘風館 (こうふう-かん 略称K)
経済学部事務室、法学部事務室、教室
至誠館 (しせい-かん 略称S)
商学部事務室、教室
神学館 (しんがく-かん 略称G)
神学部事務室、教室、神学館礼拝堂
クラーク記念館 (略称CL)
キリスト教文化センター、教室、クラークチャペル
明徳館 (めいとく-かん 略称M)
食堂、購買、教室、教育開発センター、研究支援課、学生ラウンジ
徳照館 (略称T)
文学部・文学研究科事務室
博遠館 (はくえん-かん 略称H)
教室、大学院共同図書室、アメリカ研究所・アメリカ研究科事務室、総合政策科学研究科事務室
今出川図書館
EU情報センターがあり、EU関連の書物やレポートも充実している。

扶桑館 (ふそう-かん 略称F)
ワールドワイドビジネス研究センター、ヒューマンセキュリティ研究センター、社会的共通資本研究センター、国際センター(国際課)、日本語・日本文化教育センター(国際教育課)、生協書籍部
啓明館
人文科学研究所、同志社社史資料センター
講武館 (こうぶ-かん 略称KB)
寧静館 (ねいせい-かん 略称N)
待辰館
一神教学際研究センター
光塩館 (略称KE)
啓明館

運動施設

なし

その他施設

ハリス理化学館
入試センター、広報課、アドミッションズオフィス、校友課
有終館
庶務課
致遠館
人事課、経理課、資金課、学事課、企画課

文化財

今出川校地には以下の文化財建造物がある。

重要文化財

同志社大学今出川校地にある日本国政府指定の重要文化財は以下のとおりである。

建造物

同志社礼拝堂 (今出川校地)

指定書・台帳番号1575
種別近代・学校建築
指定年月日1963年7月1日
年代1886年(明治19年)
構造形式煉瓦造、建築面積316.0㎡、一階建、一部中二階及び地下室付、鉄板葺
D.C.グリーンが設計し、1886年に竣工。
アメリカン・ゴシック調の鉄板葺き煉瓦造り。
アメリカン・ボードの寄付によって建築。
日本におけるプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては現存する最古のもの。
施工は有終館も請け負った三上吉兵衛。
ステンドグラスが美しく、徳冨蘆花の小説、『黒い眼と茶色の目』の中で「五色の光線」が降ると形容された。
1963年に国の重要文化財に指定された。
1987年から1990年まで半解体修理工事が行われた。
現在も礼拝堂として使用されており、毎週礼拝も行われている。
また、週末には同志社関係者に限り結婚式を挙げることもできる。
同志社の礼拝堂としては2代目(初代は木造)。

有終館 (今出川校地)

指定書・台帳番号1575
種別近代・学校建築
指定年月日1979年5月21日(内装は指定外)
年代1887年(明治20年)
構造形式煉瓦造、建築面積352.3㎡、二階建、地下一階、桟瓦葺
1887年に、書籍館(しょじゃくかん)として竣工。
竣工した当時は日本最大の学校図書館建築物であった。
設計はD.Cグリーン。
施工は三上吉兵衛。
初代大学図書館。
1928年昭和天皇が即位式で在京の折、この有終館が出火した。
即位式典の場所である御所は、同志社今出川校地に隣接しており、大学当局は即位式の間、全学あげて構内の警備をしていた。
ところがその詰所にしていた部屋の木製の大火鉢が加熱して出火してしまったのである。
これにより当時の総長および理事、監事は引責辞職。
燃え残った有終館の駆体は撤去の予定であったが、当時隣の同志社女学校の建築を手がけていた武田五一が修理・保存を勧告した。
結局外壁の内部に15cmの鉄筋コンクリートの壁を作る方法で保存した。
有終館の名は図書館としての役目を終えた際に当時の総長であった海老名弾正が命名した。

ハリス理化学館 (今出川校地)

指定書・台帳番号1575
種別近代・学校建築
指定年月日1979年5月21日(階段以外の内装は指定外)
年代1890年(明治23年)
構造形式煉瓦造、建築面積587.0㎡、東北隅実験室付、桟瓦葺
アメリカ合衆国コネティカット州ニューロンドン (コネチカット州)のハリス(JONATHAN N. HARRIS)の寄付によって建設された。
設計者は英国王立建築家協会員のハンセル(ALEX N. HANSELL)。
1890年の竣工で、イギリス積みの煉瓦建築。
1979年5月21日に重要文化財に指定された。

クラーク記念館 (今出川校地)

指定書・台帳番号1575
種別近代・学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代1894年(明治27年)
構造形式煉瓦造、建築面積389.4㎡、桟瓦葺、西南隅塔屋付、銅板葺
附指定建築仕様書等1冊、建築設計図1巻
ドイツのネオ・ゴシックを基調とする建築物で、「印象的な尖塔は同志社大学のシンボル的存在」と同志社大学関係者は考えている。
27歳でこの世を去った息子(バイロン・ストーン・クラーク)のためにとB.W.クラーク夫妻より6000ドル寄付され建設された。
そのため1階の壁面に「THE STUDY OF THE WORD OF GOD WAS DEAR TO HIM」(神の言葉の研究は彼にとって大切であった、の意)と刻まれている。
1894年の開館当時はクラーク神学館と呼ばれ、神学教育・研究の中心として使用された。
1979年5月に「設計図」、「建築仕様書」とともに重要文化財に指定された。
2003年1月から2008年2月まで10億1760万円をかけ改修工事が行われた。
この際、後世に改造された部分などは撤去され、当初の姿に復元された。
2006年度に行われた同志社EVEにおいて、補修工事に使われた土居葺板に寄せ書きを行うイベントが開催された。

彰栄館 (同志社中学校)

指定書・台帳番号1575
種別近代・学校建築
指定年月日1979年5月21日
年代1884年(明治17年)
構造形式煉瓦造、建築面積276.2㎡、2階建、桟瓦葺、東面塔屋付、南面玄関ポーチ付、鉄板葺
附指定時計機械1台 MAY 5, 1887の銘板がある
D.C.グリーンが設計し、1884年に竣工。
アメリカン・ゴシック調の瓦葺きの煉瓦造り。
アメリカン・ボードの寄付によって建築。
京都市内に現存する煉瓦建築の中では最古のもの。

登録有形文化財

同志社大学今出川校地にある日本国政府によって登録された登録有形文化財は以下のとおりである。

建築物

アーモスト館

登録番号26-0200
構造鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、スレート葺、建築面積343㎡
年代1932年(昭和7年)
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町632
原簿記載年月日2005年11月10日
官報告示年月日2005年12月5日
1931年11月29日定礎。
1932年3月20日竣工。
ニューイングランド・ジョージア様式で、左右対称の概観が特徴。
2005年11月10日に登録有形文化財(建造物)に登録。
学生寮(アーモスト寮)として使用されているが、現在は改修工事中。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(W.M.Vories)。
施工は清水組。

同志社啓明館本館

登録番号26-0256
構造煉瓦及び鉄筋コンクリート造5階建、スレート葺、建築面積406㎡
年代1920年(大正9年)
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町602-1
原簿記載年月日2007年7月31日
官報告示年月日2007年8月13日
1920年図書館(2代目大学図書館)として竣工。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(W.M.Vories)。
第二次大戦中、ラングドン・ウォーナー博士が米陸軍当局に提出した「爆撃してはならない日本の文化財目録」の中に入っていた。
1973年12月 に現在の図書館(3代目大学図書館)の竣工により、「啓明館」と改称する。
2007年7月31日に登録された。

同志社啓明館西館

登録番号26-0257
構造煉瓦及び鉄筋コンクリート造4階建、スレート葺、建築面積153㎡、渡廊下付
年代1915年(大正4年)
所在地京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町602-1
原簿記載年月日2007年7月31日
官報告示年月日2007年8月13日
1915年図書館(2代目大学図書館)として竣工。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(W.M.Vories)。
1973年12月 に現在の図書館(3代目大学図書館)の竣工により、「啓明館」と改称する。
2007年7月31日に登録された。

同志社フレンドピースハウス

登録番号26-0206
構造木造2階建、瓦葺、建築面積248㎡
年代明治中期
所在地京都府京都市上京区寺町通石薬師下る染殿町665-1
原簿記載年月日2006年3月2日
官報告示年月日2006年3月23日
以前同志社大学の布哇寮であり、現在は同志社フレンドピースハウスとして活用されている。

アクセス

京都市営地下鉄烏丸線今出川駅下車すぐ
京阪鴨東線出町柳駅から徒歩5~6分

[English Translation]