土御門殿 (Tsuchimikado-dono Palace)
土御門殿(つちみかどどの)は、源雅信によって建設された、寝殿造の邸宅。
別名を京極殿、また上東門第(内裏の上東門に至る土御門大路に面しているため)とも称した。
平安京の左京一条にあり、現在の京都御所敷地内に該当する。
雅信の娘源倫子と従三位京職藤原道長が結婚する際に道長を住まわせ、雅信の死後に道長に継承されてその邸宅となった。
道長の長女・一条天皇中宮藤原彰子が里邸として、ここで敦成親王(後の後一条天皇)と敦良親王(後の後朱雀天皇)を出産した。
その様子は『紫式部日記』に詳しい。
なお後に彰子が女院となる際、別名の上東門第にちなんで院号を上東門院とした。
彰子の妹藤原嬉子もここで後冷泉天皇を出産、後一条、後朱雀、後冷泉ら三代の天皇の里内裏ともなった。
御堂関白家の栄華を象徴する邸宅であった。
また『御堂関白記』によれば、長和4年(1015年)北宋朝からクジャクが朝廷に届き、これを時の三条天皇が道長に下賜し、道長は土御門殿で飼っていたという。
長和5年(1016年)に、火事で焼失するが、令制国の国司たちによって届けられた屋敷再建の品物によって、以前より立派な屋敷が再建された。
以後、東三条殿と並ぶ摂家当主の拠点として機能した。