大和文華館 (Museum Yamatobunkakan)

大和文華館(やまとぶんかかん)は、奈良県奈良市にある、東洋古美術を中心とする私立美術館である。

沿革

昭和21年(1946年)、近畿日本鉄道(近鉄)社長であった種田虎雄(おいたとらお)は、財団法人大和文華館を設立した。
京都、奈良、伊勢という日本の文化の中心地を結ぶ鉄道会社にふさわしい美術の殿堂をつくろうと考えた種田は、世界的な美術史学者・矢代幸雄を初代館長に任命し、その仕事を依頼した。
館の運営から作品の選択、収集まで、すべては矢代に一任された。
学者である矢代は、個人の好みによってではなく、質の高い作品を系統的に収集することに尽力した。
収集した作品には国宝 4件、重要文化財 31件を含んでいる。

種田はほどなく他界したが、彼の遺志は十数年を経て佐伯勇に引き継がれて実現し、昭和35年(1960年)、近鉄の創立50周年行事の一環として大和文華館が開館した。
日本の私立美術館の多くが、実業家、大名家などの大コレクションを母体にしている.
これに対し大和文華館の場合は、最初に美術館設立の構想があり、コレクションは後から形成された点がユニークである。
矢代はこのことを「美のための美術館」と呼んだ。
所蔵品は観賞価値を第一にした名品が集められた。
個人の嗜好によらず、ある時代や地域の美意識を代表する名品が、偏りなくまんべんなく集められていることが大和文華館の特徴の一つである。

なお、国宝の寝覚物語絵巻、一字蓮台法華経をはじめとする名品の多くは、横浜の三渓園の生みの親である原富太郎(原三渓)のコレクションにあったものである。
大和文華館の「文華」とは矢代が南京の南京博物院を訪問した折、自然展示室を「物華館」、人文芸術展示室を「文華館」としていたことに基づく。
「文華」は中国の古語で優れた文筆の才や文化が盛えるさまをあらわす。
矢代の戦後日本への期待を込めた命名である。

所蔵品には中国、朝鮮半島、日本を中心とした東洋古美術の名品約二千点のほかに、中村直勝収集の双柏文庫、近藤家旧蔵の富岡鉄斎書画、鈴鹿文庫等が含まれる。
これらは年に7回の館蔵品を中心とする企画展で順次公開される。
また年に1回程度の特別展が行われる。

大和文華館は美術館であるとともに研究機関でもある。
美術研究所が併設されている。
昭和26年創刊の東洋古美術研究誌『大和文華』は日本でも最も古い民間の美術研究誌として国内外からの定評を得ており、年2回発行されている。

「竹の庭の美術館」

大和文華館の展示館は、奈良市の西の郊外の静かな住宅地のなかにある。
菅原池(通称、蛙股池)に面した丘の上に、赤松の古木と「文華苑」と呼ばれる自然苑に囲まれて建つ。
展示館は日本芸術院会員の建築家吉田五十八の代表作の一つである。
城郭や蔵をイメージさせる「なまこ壁」をモチーフとして取り入れている。

展示室は、竹の植えられた中庭をめぐって配置されている。
バルコニーからは遠く春日山や平城京を望むことができる。
このため「竹の庭の美術館」とも呼ばれて多くの人に親しまれている。
こうした美術品をめぐる自然環境は、矢代幸雄の東洋美術への理想、「自然の緑が陳列室の空気をも彩るようにしたい」、「自然の額縁のなかで東洋の美術は一番美しく見える」を実現したものである。

文華ホール

明治42年に建設された辰野金吾設計の奈良ホテルのラウンジを開館二十五周年記念事業の一つとして移築修復し、ホールとして活用している。

教育普及活動
毎週土曜日午後2時から、学芸員による列品解説が行われる。
これは矢代幸雄が西洋の美術館活動に想を得て始めた。
開館以来途切れることなく行われている大和文華館の伝統行事である。

また、展観中に1回程度の日曜美術講座も行われる。
東洋古美術の魅力をスライド等を使用しながら分かりやすく、かつ最新の研究成果も踏まえて講演が行われる(参加無料、通常入館料のみ必要)
小学生の鑑賞教育等や大学生の見学、実習等も積極的に受け入れている。
また友の会があり、会員には展観紹介や美術エッセーを掲載した季刊「美のたより」が年4回送られる等の特典がある。

文華苑
美術館の周囲は文華苑とよばれる自然園になっており、梅林(2、3月ごろ)、三春の瀧桜(4月上旬)、ササユリ(5月頃)、アジサイ(6~7月)、スイフヨウ(9月)、萩(11月頃)、サザンカ(12月頃)、ロウバイ、椿(1月~2月頃)と、四季を通じての花が楽しめる。

利用情報

住所〒631-0034 奈良市学園南1丁目11番6号
交通アクセス近鉄奈良線学園前駅 (奈良県) 徒歩7分

周辺情報

松伯美術館
中野美術館

[English Translation]