新沢千塚古墳群 (Niizawa Senzuka-kofun Tumulus Cluster (a large tumulus cluster in Mt. Kaifuki in Kashihara City, Nara Prefecture))

新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)は、奈良県橿原市南部の貝吹山に位置する総数600以上の墳墓からなる日本有数の大古墳群である。

概要

4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに墳墓が作られた。
かつては川西(かわにし)千塚、または鳥屋(とりや)千塚と呼ばれていた。
この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されておらず、大伴氏、漢氏(あやし)、蘇我氏など諸説ある。

1960年代に同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。
武具、馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土した。
特に、5世紀後半の126号墳からは、大量の装飾品とともに、日本史上初の火熨斗(ひのし、炭を入れてアイロンとして使用した金属器)の出土や、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られる希少なローマンガラス製品の出土があった。
そのために、古代日本の交易範囲の広さを立証する遺跡として報道され、当時全国的に大きな話題となった。

これらの実物は現在東京国立博物館に所蔵されている。

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