武家屋敷 (Buke Yashiki)

武家屋敷(ぶけやしき)は主に江戸時代の江戸に大名が所有した出張所を兼ねた大名の邸宅。
大名屋敷のこと。
藩邸とも。
対義語に公家屋敷がある。

現在の解釈では、主に近世の武士の住まいである侍屋敷のことも含まれている。

大名屋敷

大名屋敷(だいみょうやしき)は、その大名が仕える主人の屋敷や城の近くや内側に構えた屋敷、大名が職務・居住のみを問わず構えた屋敷である。
人質を住まわせるための施設や天下普請のための宿舎と工事事務所を意味していることもあった。
文禄・慶長の役の際に名護屋城に造られた大名陣屋等もそれに含まれる。

江戸時代

江戸時代においては、大名が幕府より土地を与えられて江戸城近辺や郊外に構えたもの、また、各大名の事情により大坂や京都にも構えられた。
江戸の大名屋敷は、その大名が参勤交代で江戸に滞在する間に居住し、また、現在の大使館のような役割を持ち、大名(藩)の幕府への政治的、経済的な窓口としても機能した。

江戸における大名屋敷

江戸の大名屋敷には、上屋敷・中屋敷・下屋敷等といい幕府から与えられて所有、活用していた。
上屋敷、中屋敷、下屋敷の上中下の違いは、江戸城からの距離で区別されたものである。
元文3年(1738年)には大名の禄高(石高)によって敷地面積の標準が定められていたが、上屋敷のもののみであり、実際はそれに準じなかった。

主に、江戸城近辺の大名とその家族が居住する上屋敷と、より私的な空間である下屋敷のふたつを使い分けていた。
大名の中にはそれらの中間に中屋敷を設けたものもあった。
(詳細は江戸藩邸を参照のこと)

蔵屋敷は下屋敷の一つで、敷地内には、複数の蔵と屋敷があり、海岸や河口に造られ、国元で造られた品を江戸へ荷揚げし、払い下げるか売り下げて、市場に送り出す施設として使われた。
主に経済的活動のための施設である。
(詳細は蔵屋敷を参照のこと)

侍屋敷

侍屋敷(さむらいやしき)は、下級武士の住まう邸宅のことである。
中世までは武士はそれぞれの領地に住んでいたが、近世になり兵農分離が行われると、城下町に集まって住むよう強制された。
現在の公務員の宿舎に近いものである。
侍屋敷が集まったものを侍町という。
侍町は城郭を中心に防御することを意識して計画的に配置される。
城を持つ地域では、その城によって三の丸や外郭内を侍町とすることがあった。
陣屋の地域では、陣屋の敷地内に小規模な侍屋敷を構えて住まわせることもあった。
旗本や御家人などの一般の武士の住まいは民家とそれほど変わらない規模の建物であったことも多いが、上級や中級の侍屋敷では土塀や長屋門、式台を構え、下級のものも少なくとも書院造の座敷を設けるなど、格を示すような特徴を持っていた。

また、江戸時代は、社家も士族に準じる身分・格式とされ、屋敷の様式も、概ね武士の屋敷に準じるものである。

武家屋敷(侍屋敷)の街並み・社家町

維新によって役目を失った侍屋敷は多くが破却され、また戦災や戦後の都市開発によって失われた。
しかし侍屋敷、侍町の佇まいを現在に伝える地域もあり、その一部は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

弘前市(青森県):重要伝統的建造物群保存地区
角館町(秋田県仙北市):重要伝統的建造物群保存地区
金ケ崎町(岩手県):重要伝統的建造物群保存地区
水沢市(岩手県)
佐倉市(千葉県)
松代城(長野県長野市)
金沢市(石川県)
松阪市(三重県)
京都市北区 (京都市)上賀茂地区:京都市上賀茂伝統的建造物群保存地区(上賀茂神社社家)
篠山市篠山伝統的建造物群保存地区(兵庫県篠山市):重要伝統的建造物群保存地区
松江市(島根県)
出雲大社(島根県出雲市) : 出雲大社国造・出雲国造長屋門、出雲国造・真名井社家通り
津和野町(島根県)
高梁市(岡山県)
萩市(山口県):重要伝統的建造物群保存地区
岩国市(山口県)
安芸市(高知県)
島原市(長崎県)
杵築市(大分県)
佐伯市(大分県)
神代小路(長崎県雲仙市):重要伝統的建造物群保存地区
飫肥城(宮崎県日南市):重要伝統的建造物群保存地区
出水麓(鹿児島県出水市):重要伝統的建造物群保存地区
入来麓(鹿児島県川内市):重要伝統的建造物群保存地区
知覧町(鹿児島県南九州市):重要伝統的建造物群保存地区

その他

平家の落人伝承を持つ徳島県三好市東祖谷(旧東祖谷山村)にも「武家屋敷」と呼ばれる住まいがある(外観は農家と同じ)。

[English Translation]