西殿塚古墳 (Nishitonotsuka-kofun Tumulus (a large keyhole-shaped tomb mound in Nakayama Town, Tenri City, Nara Prefecture))

西殿塚古墳(にしとのつかこふん、にしとのづかこふん)は、奈良県天理市中山町に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。

概要

天理市南部に広がる大和古墳群の中でも最大の大きさであり、延喜式で山辺郡にあったとされる手白香皇女衾田陵の位置にあたる。
そして宮内庁によって現手白香皇女衾田陵に比定されている。
しかし箸墓古墳と同様の吉備様式の特殊器台が後円部に並び(寺沢 2000)、埴輪や墳丘の形態等からも箸墓古墳に続く時期の大王墓という見方がある(白石 1999)。
こうして築造時期は三世紀後半から四世紀初めごろと想定されている(白石 1999, 寺沢 2000, 和田 2003)。
これらの見方では築造時期が手白香皇女の生没年と合わない。
その場合は、衾田陵は延喜式でいう山辺郡でも推定築造時期が六世紀と考えられている周辺唯一の古墳である西山塚古墳と考えられている(和田 2003)。

箸墓古墳に続く大王墓とみた場合、被葬者を推定する試みもある。
まずは箸墓古墳の被葬者を卑弥呼と考え、台与らその次世代の王を西殿塚古墳の被葬者と考えるものである(白石 1999)。
また崇神陵の陵守が衾田陵を合わせて守っていたという記録から、西殿塚古墳こそが崇神天皇陵であったという解釈もある(和田 2003)。

宮内庁が管理しており、研究者や国民の立ち入りは禁じられている。

憤形・形状

龍王山の山の斜面に横向きに築造されている。
前方部を南、後円部を北に向けたほぼ南北方向に主軸をおいている。

墳丘は全長が234メートル、後円部の直径135m、前方部の幅118m。
三段築成で葺石が葺かれている。
後円部は正円形、前方部の側面は緩やかに弧状をなし端部で開き、正面ではわずかに撥方をしている。
段築が認められるが、前方部の段築がくびれ部で解消してしまい後円部に繋がっていない。
周濠は、地山を少し掘り下げて造っている。
葺石と円筒埴輪が確認されている。

形態的特徴として後円部の墳頂に方形壇(一辺35メートル、高さ2.6メートルの正方形)が造られ、前方部にも同じ形(一辺22メートル、高さ2.2メートル)でやや小さい壇が営まれているという点がある。
このため、後円部と前方部の方形壇の下にそれぞれ別人の埋葬施設が存在したという見方がある(白石 1999)。
方形壇は死者を埋葬してからその上に祭祀用の広大な壇を造った。
箸墓古墳ではまだなく、壇の設営としては初期の頃のものである。

埋葬品

1988年、宮内庁の報告で特殊器台・特殊壺の存在が明らかになった。
1993年、口縁部直径50~70センチの大型品で有黒斑・有段口縁を持つ器台型埴輪、最古の都月型円筒埴輪が大量に出土した。
口縁部外面に鋸歯文の線刻を施しており、外面は横捌け、縦捌け、内面は撫で調整している。
壺型埴輪もあった。
墳頂部で使用されていた可能性が強い。

[English Translation]