赤坂天王山古墳 (Akasaka Tennozan-kofun Tumulus (a tumulus in Sakurai City, Nara Prefecture))
赤坂天王山古墳(あかさかてんのうざんこふん)は奈良県桜井市倉橋にある古墳。
古墳時代後期、6世紀後半の築造と考えられている。
1954年12月25日に国の史跡に指定された。
周辺の古墳と区別するため、赤坂天王山1号墳とも呼ばれる。
概要
北西に延びる尾根上に築かれた方墳。
墳丘は3段築成で、東西45.5メートル、南北42.2メートル、高さ約9.1メートルである。
墳丘の四辺がほぼ正確に東西・南北方向に沿っている。
主体部は南に開口する両袖式の横穴式石室である。
全長17メートル、玄室の長さ8.5メートル、幅約3メートル、高さ4.2メートル、羨道の長さ8.5メートル、幅1.8メートル、高さ約2メートル。
石室は花崗岩の自然石で構成され、玄室壁面には持ち送りが見られる。
床面に礫石が敷かれ、羨道入口には閉塞石が残存している。
玄室中央には二上山 (奈良県・大阪府)産の白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺が置かれている。
棺蓋には6個の縄掛突起があり、羨道に面した身の上辺には方形小孔が穿たれている。
石室は早くから開口しており、出土遺物は知られていない。
築造時期・埋葬者
遺物は無いが、石室や石棺の形式などから築造時期は6世紀末と見られている。
日本書紀に崇峻天皇は暗殺された後に倉橋の地に葬られたと記されている。
この地域で造られた古墳で該当するものは赤坂天王山古墳以外には見あたらないため、同古墳が崇峻天皇陵として有力視されている。
また、明治時代に南西に1.7Kmほど離れたところにある現在の倉梯岡上陵に治定されるまでは、江戸時代から赤坂天王山古墳が崇峻天皇陵に擬せられていた。
周辺
古墳が所在する同じ尾根上には、横穴式石室をもつ5基からの古墳があり群集墳を形成している。
赤坂天王山2号墳 - 1号墳の西にあり、1辺25メートルの方墳
赤坂天王山3号墳 - 1号墳の北にあり、10メートルの横穴式石室を有する
交通アクセス
西日本旅客鉄道桜井線 近畿日本鉄道近鉄大阪線 桜井駅 (奈良県)より奈良交通バス 下尾口下車徒歩5分