長屋 (Nagaya (long house))
長屋(ながや)とは集合住宅の一形態である。
定義
複数の住戸が水平方向に連なり、壁を共有する物。
あるいは(同じことだが)1棟の建物を水平方向に区分し、それぞれ独立した住戸とした物。
それぞれの住戸に玄関が付いている。
長屋の条件として必ず求められることは、各戸の玄関が直接接道など外界に接しており、その玄関を他の住戸と共有していてはならないことである。
近年ではテラスハウスと呼ぶことも多い。
イギリスなどヨーロッパによく見られるタイプでセミデタッチト・ハウス(semi-detached house)がある。
1棟の建物(多くは2階建て)を中央で区分し、2軒の家が壁の一方向を共有する形式で、敷地や建設費を節約できる。
二戸一棟とも。
(一戸建てはデタッチト・ハウス)
玄関を共有し、内部が複数の住戸に区分されている場合は、長屋とは区別される(アパートや下宿屋、寮のタイプ)。
2階建て以上で垂直方向にも区分したものは、アパート、マンションなどと呼ばれ、区別される。
日本における長屋
長屋という言葉で一般にイメージされるのは、下町の狭い路地に面して建てられた木造の住宅であろう。
歴史的には、伝統的な都市住居として広く見られる形態であった。
城郭においては、多門櫓と称す長屋を塁上に造り、防衛の建物として威力を発揮しながら一般の住宅としても活躍していた。
とくに御殿女中の居住施設は長局とよばれ、江戸城大奥では、戸別にトイレ・キッチン付二階建てで全長80mもあった。
江戸時代の長屋
江戸時代において、中層以上の商家などは表通りに独立した店を構えていたが、それ以外の町人、職人などはほとんどが裏町の長屋に借家住まいであった。
また、大名屋敷の敷地内にも長屋が造られ、家臣らを住まわせた。
特に江戸時代、裏町に見られた長屋は落語や川柳の格好の題材になった。
密集した中で生活していたが、人情こまやかな生活を送っていた場合もみられる。
江戸時代の長屋はほとんど平屋建てで、玄関を入るとすぐ台所であり、部屋はせいぜい2部屋程度である。
路地に共同トイレがあり、風呂は無い(火事の危険性が高く、防災上の理由で禁止されていた。
入浴は銭湯でする)。
水は共同の井戸が有った。
これは地下水をくみ上げるものではなく、神田上水から供給されていた水道水の取水口である。
そのため水が桶に溜まるまで多少の時間がかかった。
それを待つ間に近所の者で世間話をする「井戸端会議」という言葉が生まれた。
江戸時代に「大家」と言えば、所有者(家主)とは異なり、住民の家賃を集めたり、管理を任されている者のことであった(現代で言うところの不動産管理会社に近い)。
住民の相談相手になったり、何かと世話を焼いたり場合が多い。
落語ではよく「大家といえば親も同然」などという台詞が聞かれる。
狭い長屋暮らしに大量の所有物を収納するスペースは無く、
長屋には様々な生活物品を貸し出す損料屋(レンタル業に相当)が発達した。
1月分の家賃は1日の手間賃で稼げる程安かった。
九尺二間の棟割長屋、割長屋(スタブ)
間口が9尺(約2.7m)、奥行きが2間(約3.6m)の住戸を連ねた長屋を九尺二間の長屋と言う。
九尺二間の長屋とは畳6畳の部屋とほぼ同規模の大きさでありそのうち約1畳半を土間として、4畳半を部屋として区画されているのが一般的。
棟割長屋は本来、建物の棟方向に壁を造って前後に区分してしまう物を指した。
このタイプでは開口部が一方向しか取れないため、通風・採光に難があり、住環境は劣悪になる。
江戸時代の江戸の長屋は火事になってもすぐに再建できるようにと、板葺きに下見板という焼屋造りとよばれるつくりが多かった。
近代の長屋
明治時代以降においても、都市住居としては長屋が一般的であった。
2階建て(各住戸内に階段がある)長屋も次第に増え、各戸にトイレも造られるようになった。
風呂はまず無かった。
現在でも、例えば東京の月島などには長屋が多く見られる。
大阪・京都などでもよく見られる、一般的な住居形態であった。
また見た目にはいわゆるマンションと同等の建築物でも建築基準法の要件に合致しているとその定義上、長屋となっている物も多い。
これは長屋の方が建築要件が緩いため、マンションでは建築不可となる場合でも長屋ならば建築可能となるためである。
この方法を用い、実質的にはマンションであるものを建築することにより周辺住民とトラブルを起こす例が報告されている。