カレーライス (Curry and Rice)

カレーライスは、米飯(ライス)にカレーソースを掛けた日本の料理である。

食材をさまざまなスパイスで味付ける習慣のインド料理がルーツである。
明治時代の日本に、当時インドを植民地支配していたイギリスの料理として紹介された。
その後日本で独自の進化をした。
日本では国民食と呼ばれるほど広い世代に消費されている。
小中学校の給食でもつねに人気の上位に挙げられる。
エスニック料理が普及した現在の日本でも、たんにカレーと呼ぶときはカレーライスを指す場合が多い。
スプーンを使用して食べることが一般的である。

概要

カレーライスは、はじめ日本にイギリス料理として伝わったため、日本では長く洋食として扱われてきた。
現在の日本のカレーは、この流れに基づいた欧風カレー、さらに1990年代以降急増した本格インド料理店のカレー、そしてこのふたつの流れをふまえて生まれたオリジナルカレーの3つに大別できる。
洋食としてのカレーは、イギリス海軍のカレー粉を入れたシチューの影響が大きいという説がある。

近畿地方では牛肉を使用したビーフカレー、関東地方では豚肉を使用したポークカレーが定番とされている。
カレーライスのルーツであるインド・パキスタン・バングラデシュでは、ヒンドゥー教やイスラム教などの影響で菜食が主流であり、豆・野菜・乳製品を使ったカレー料理が発達している。
肉を使う場合は鶏肉・羊肉が多く、豚肉・牛肉は少数派である。

なお、遠藤哲夫は著書『ぶっかけめしの悦楽』(文庫版改題『汁かけめし快食學』)で、日本においてこれほどまでにカレーライスが普及したのは、日本の伝統食である「ぶっかけ飯(汁かけ飯)」の系譜にカレーライスが位置づけられたためだと述べている。

カレーソース

カレーライスのうち、飯の上にかける汁をカレーソース (調味料)と呼ぶ。
野菜や肉などを煮込んだ鍋に、カレーカレー粉と小麦粉を油で炒めて少し焼き色をつけたもの(ルー (食品))を入れ、とろみが出るまでさらに煮るというのがオーソドックスな作り方である。
カレーソースにジャガイモを入れることを考案したのは、札幌農学校の教師として来日していたウィリアム・スミス・クラークだといわれている。
当時不足しがちだった米を補う目的だったといわれる。
クラークとカレーライスについては後述。

現在の日本の家庭では、カレー粉・油脂・小麦粉・旨味成分などを固形化した「ルー (食品)」を使ってカレーソースを作る調理法が主流である。

カレーソースを指して「カレールウ」「ルウ」と呼ぶ人もいるが、正確な表現ではなく、本来のルウ(小麦粉を油で炒めたもの)や固形の即席カレールウとの区別もしにくい。
但し、日本風のカレー店では「ルー増し」等の注文がカレーソースを示す言葉として一般的に用いられている。

粉末の即席カレールウは、1926年に、ハウス食品が「ホームカレー粉」の商品名ではじめて発売した。
固形製品は、1954年に、エスビー食品がはじめて発売した。
2004年度の家庭用カレールウ国内出荷額は約676億円だった。
各社の市場占有率はハウス食品約61%、エスビー食品約28%、江崎グリコ約10%と推計されており(日本経済新聞社)、ほぼ大手3社による寡占市場である。
もっとも名古屋では、コメディアン南利明が「ハヤシもあるでよ」のキャッチフレーズで一世を風靡したオリエンタルのカレーにも根強い人気がある。

レトルトパウチを5分ほど湯煎するだけでカレーソースの調理が完成するレトルトカレーも、高い人気を得ている。
2007年現在、レトルトカレーは多くのレトルト食品のなかでも最大の3割以上という売り上げ高を誇っている。

付け合せ

付け合わせはまったく付けないか、蜂蜜もしくは甘酢に漬けたラッキョウや福神漬が一般的である。
その他にも白菜、ピクルス、レーズン、ナッツなどが添えられる。
最初に福神漬けを添えることを考案したのは、日本郵船のヨーロッパ航路船でコックをつとめていた「タキサダ・サダイチ」とされている。

カツカレー

- カレーライスにトンカツを乗せたもの。
最初のトッピングカレー。

ドライカレー

- カレー風味の炒飯。
または挽肉を使った汁気の少ないカレーをご飯に乗せたもの。

混ぜカレー

- あらかじめカレーソースとご飯を混ぜたもの。
大阪市の自由軒が発祥とされている。

カレー丼

- 丼飯に和風に仕立て片栗粉などで口当たりがよいようにとろみをつけたカレーソースを掛けたもの。
和風の出汁(昆布)及びめんつゆを使う場合が多い。
具は長ネギと鶏肉を煮込んだシンプルなものから一般のカレー具材を煮込んだものまで多種多様。

あいがけ

- ご飯にカレーソースとハヤシライスソース、あるいはカレーソースと牛丼の具というふうに、カレーとほかのソース(具や汁)を一対一で掛けたもの。
また、秋田県仙北市の神代カレーの様に和風ブイヨンを基本とした昭和30年代風のカレーソースとデミグラスソースを基本とした今風のカレーソースをそれぞれ一対一で掛けたものも存在する。

焼きカレー

- 生卵を載せたカレーライスをオーブンで焼いたもの。
福岡県北九州市の「カリイ本舗」の考案といわれる(特許登録第2691213号)。

石焼きカレー

- 石焼きピビンパのように、石鍋で焼いたご飯にカレーソースをかけたもの。

スープカレー

- 北海道札幌発祥のスープ状のカレー。
サラサラのカレーソース(スープ)、大ぶりに切った野菜、チキンレッグなどを特徴とする。

ご当地カレー

1990年代の後半ごろから、全国各地の特産品や名産物を具にしたレトルトカレーが次々に登場し、ご当地カレーというべきジャンルを形成している。
それは北海道のエゾシカカレー、青森県のホタテガイカレー、千葉県のサバカレー、長野県のリンゴカレー、愛知県の名古屋コーチンチキンカレー、三重県の松阪牛カレー、広島県のカキ (貝)カレー、島根県のナシカレー、沖縄県のツルレイシカレーなどである。
現在はますますその種類を増やし、ありとあらゆる地方の名産物がカレーの具に採用されている。
インターネットでパッケージの写真が広く告知できるようになったことが、盛り上がりの理由として考えられる。

旧海軍ゆかりの神奈川県横須賀市では、市内の飲食店のいくつかで「よこすか海軍カレー」を供するなど、カレーを観光資源とする試みに取り組んでいる。
これに似た例として、石川県金沢市の金沢カレー、茨城県土浦市のツェッペリンカレー、北海道富良野市の富良野カレー、秋田県仙北市の神代カレーなどがある。
これらも町おこしを目的としたご当地カレーの一種と考えてよいだろう。

行事

日比谷公園にある松本楼の10円チャリティーカレーが有名である。
松本楼は1971年に過激派グループの投げた火炎瓶により全焼した。
1973年9月25日に再建されたことを記念して、この行事は毎年9月25日に実施される。
カレーソースは4日間煮込んだ本格的なポークカレーソースである。
料金は10円に各自の志を追加して払う。
売り上げは交通遺児育英会、日本ユニセフ協会に全額寄付されている。
「10円カレー」は俳句の秋の季語にもなっている。

沿革

1863年(文久3年)、江戸幕府の遣欧使節の三宅秀が、船中でインド人が食事する様子を見て、下記のように日誌に記している。
「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。」
「至って汚き人物の物なり。」

1872年(明治5年)、北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。

1872年(明治5年)、カレーライスのレシピを記した本「西洋料理指南」(敬学堂主人)、「西洋料理通」(仮名垣魯文)が出版される。

1876年(明治9年)、当時、札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。

1877年(明治10年)、東京の洋食食堂「風月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せる。

1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、初めて日本でカレー粉を製造販売。

1904年(明治37年)、東京・早稲田の飲食店「三朝庵」が、初めてカレーうどんをメニューに載せる。

1906年(明治39年)、東京・神田 (千代田区)の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売。

1908年(明治41年)、帝国海軍が配布した「海軍割烹術参考書」にカレーライスのレシピが載る。

1910年(明治43年)、帝国陸軍が配布した「軍隊調理法」にカレーライス(辛味入汁掛飯)のレシピが載る。

1924年(大正13年)、東京・神田の簡易食堂「須田町食堂」が、初めて廉価(8銭)でカレーライスをメニューに載せる。

当時の大卒初任給70円、日雇労働者日当1円63銭

1926年(大正15年)、「浦上商店」(現・ハウス食品)が、「即席ホームカレー」を発売。
翌年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更。

1927年(昭和2年)、東京の「新宿中村屋」「資生堂」が、高級カレー(80銭、50銭)をメニューに載せる。

1929年(昭和4年)、大阪・梅田の「阪急百貨店」の大食堂が、廉価(20銭)でカレーライスを販売。

1930年(昭和5年)、山崎峯次郎(エスビー食品の創業者)が、国産カレー粉第1号を発売。

1931年(昭和6年)、「C&Bカレー事件」発生。
イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル(CB)社のカレー粉は、品質がよいとされていたが値段が高く、増量材を混ぜたり中身を国産品に詰め替えた安価な偽物が出回った。
これは日英間の国際問題にまで発展し、偽造グループが逮捕された。
この事件ののち、安価な国産カレー粉が見直され、カレーライスの低価格化が進んだという。

1941年(昭和16年)~1945年(昭和20年)、戦争による食料統制のため、カレー粉の製造・販売が禁止された。
ただし、軍用のカレー粉だけは細々と製造された。

1946年(昭和21年)、終戦によりカレー粉の製造・販売が再開された。
ただし、原料の調達はスムーズではなかった。

1949年(昭和24年)、浦上商店が「即席ハウスカレー」の製造を再開。

1954年(昭和29年)、エスビー食品が即席カレー分野に進出。

1960年(昭和35年)、ハウス食品工業株式会社(旧浦上商店)が「ハウス印度カレー」を発売。
以後、インスタントカレールウの主流は固形タイプになる。

1969年(昭和44年)、大塚食品、初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売。

1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が1月22日をカレーの日と決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食を出す。
以後この日が、カレーの日とされている。

外食店の歴史

1910年(明治43年)、大阪・難波新地に、西洋料理店・自由軒が開業。
1940年(昭和15年)、織田作之助が小説『夫婦善哉』でこの店の「混ぜカレー(名物カレー)」(支流店の「せんば自由軒」では「インデアンカレー」と呼ぶ)を紹介して有名になった。
カレーソースとライスをあらかじめ混ぜ、中心に生卵を載せて出される。
ウスターソースをかけて混ぜて食べることが推奨されている。

1927年(昭和2年)、「新宿中村屋」が喫茶部を開業し、「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーの10倍の値段)で出した。
インド独立運動家のラース・ビハーリー・ボースがレシピを考案した本格的インドカリーである。
高値にもかかわらず一日300食を売り上げたという。

1929年(昭和4年)、大阪・梅田駅に開業した阪急百貨店 の大食堂のカレーライスは、本格的なカレーが低価格(20銭)で味わえるということで人気を集めた。
2004年に改築工事のため大食堂が閉鎖されるまで名物メニューとして続いた。
昭和恐慌後、ライス(5銭)だけを注文して卓上のウスターソースをかけて食べる客が増えた。
問題になったが、阪急社長の小林一三はこれを公認する姿勢を打ち出し、ソーライス(ソース・ライス)として親しまれた。

日本で最初の本格的なインド料理店は、1949年(昭和24年)にA.M.ナイルが東京銀座で開店した「ナイルレストラン」である。
これについでインド独立運動で重要な役割を果たしたラーマ・ムールティの弟・ジャヤ・ムールティが、1954年(昭和29年)に東京・阿佐ヶ谷に「アジャンタ_インド料理店」を開いた。

現在、カレーは立ち食い蕎麦店などで早く安く胃袋を満たすことができるファーストフードとして人気が高い。
喫茶店などの軽食としても一般的である。
外食カレー産業を支える業務用のレトルト製品やカレーミックス粉が販売されている。

大手カレーチェーンストアの「壱番屋」などでは、豚カツ、ビーフカツ、唐揚げ、コロッケ、チーズ、野菜などの各種の具を客が自由にトッピングできるシステムが人気を得ている。

カレーライスとライスカレー

カレーライスは当初、ライスカレーという呼び方が普通だった。
しかし、1960年代後半ごろから、カレーライスという呼び方が優勢となり、現在ではライスカレーという言葉はほとんど死語となるに至っている。
移行期には、カレーライスとライスカレーはどう違うのかという議論がさかんに行われた。

家庭や大衆食堂等で作られる庶民的なものがライスカレー、レストランなどの気取った店で出されるものがカレーライス。

米飯とカレーソースが別々に出されるものがカレーライス。

和風の出汁を用いたものがライスカレー、洋風のスープを用いたものがカレーライス。

「ライスが多けりゃライスカレー、カレーが多けりゃカレーライス」(当時テレビで流されていた「ククレカレー」のCMのコピー)。

1872年、北海道開拓使の公文書で「タイスカリイ」(ライスカレー)という語が、樺太の医師・三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録で「カレーライス」という語が使われている。
このことから、日本では当初からふたつの言葉が使われていたことが分かっている。

北海道大学とカレーライス

1876年、札幌農学校(のちの北海道大学)に着任したウィリアム・スミス・クラークは、ライスカレーという言葉を考案した人物として知られているが、開拓史の公文書『明治五年 開拓使公文録 八』(1872年)で「タイスカレイ(ライスカレー)」という言葉がすでに使われている。
またクラークは寮での米食を禁止し、ライスカレーのみを例外としたといわれている。
しかし、吉田よし子(『カレーなる物語』)の調べによると、その記録は北海道大学に現存せず、カレーに関するもっとも古い資料は、1877年9月のカレー粉の納入記録と1881年の寮食メニューであった。
クラークの前任者のホーレス・ケプロンのほうが、日本のカレーライス普及により貢献しているという考えがある。

軍隊・自衛隊とカレーライス

カレーライスが日本に普及するにあたって、大日本帝国海軍が大きな役割を果たしたと言う説がある。
調理が簡単で肉と野菜がバランスよく摂れる合理的な料理であり、イギリス海軍から伝わったとされる。
はじめは米飯のかわりにパンが添えられていたが、不評により米飯に変更されたという。
海軍では土曜の昼食はカレーライスと決まっていて、この慣習は海上自衛隊にも引き継がれた。
長期航海中に曜日の感覚を取り戻すためだとも、休日前に食料庫の整理をするためだとも言われている。
週休2日制となってからは、土曜日が金曜日に変更されつつある。
今なおすべての部署でカレーライスを食べており、艦艇・部隊で味を競い合っているという。
現在海上自衛隊の公式サイトで、各艦船による料理レシピが公開されているが、「和食、洋食、中華、カレー」と、カレーが独立したジャンルとして扱われている。
なお、カレーの材料で醤油、味醂等で味付けした料理が今の肉じゃがであるとの説が巷間に広まり、海軍発祥の料理と言われている。
現在は、かつて軍港のあった町の名前を冠した「海軍カレー」が、レトルト食品や缶詰製品として発売されている。
旧海軍のレシピにより調理されている。

また大日本帝国陸軍がカレーライスの普及に貢献したという説があり、根拠としては次が挙げられている。
海軍では炊事を専門の者が行ったため、カレーライスの作り方を覚えた兵はごく一部だったのに対し、陸軍ではほぼ全員が炊事を経験した。
陸軍は海軍に比べて人数が圧倒的に多い。
海軍はむつ市、横須賀市、舞鶴市、呉市、佐世保市といった限られた都市にしかいなかったのに対し、陸軍が全国に駐屯していた。
当初、カレーライスよりライスカレーの呼称が一般的だった。
陸軍のレシピではライスカレー、海軍のレシピではカレーライスと表記されていた。

太平洋戦争中、「ライスカレー」は敵性語であるとして、代用語として1910年(明治43年)に帝国陸軍が配布した「軍隊調理法」に同じ意味を持つ日本語として記載された「辛味入汁掛飯(からみいり しるかけめし)」が用いられた。

世界各地域における日本的カレーライス

日本的なカレーライスは、日本以外の国でもある程度普及している。
その理由として「イギリスの影響」、「戦前の日本の影響」、「戦後の日本の影響」の三つが考えられる。

イギリス

日本にカレーライスを伝えた国と言われるイギリスには、見た目や味が日本のカレーライスによく似た「curry and rice」(カリーアンドライス)が存在する。
パブ(大衆酒場)や学生食堂で安い値段で気軽に食べられる庶民性の点でも日本でのカレーライスと共通する。
もともとポピュラーな家庭料理だったが、家庭でローストビーフを焼く習慣が失われたり、米飯を炊くのが面倒などの理由で衰退している。
イギリスには多くのインド料理店が存在するが、それらの本格的なインド料理とは別のイギリスの大衆料理といえる。

香港

イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レストランにカレーライスを揃えている店が少なくない。
日本のものと比べると、さらっとしたものが多い。

ハワイ

明治初期から日本人移民の多いハワイでは、カレーライスは日常食として普及しており、日本料理店のみならず大衆的なレストランや伝統的なハワイ料理を扱う店のメニューにもカレーライスを名を見つけることができる。
近年は、タイ王国やベトナムなど東南アジア系移民の増加や、CoCo壱番屋の進出などにより、さまざまなバリエーションのカレーが食べられるようになってきた。

台湾

台湾には、日本統治時代 (台湾)に、日本人がカレーライスを持ち込んだ。
「日式咖哩飯」(リーシーカーリーファン)と呼ばれ、屋台や食堂などで気軽に食べることができる。
台湾の古典的な日式咖哩飯は、肉や野菜の具が少なく片栗粉でトロミを付けた日本の昭和時代のカレーに近い料理である。
しかし、近年廃れつつある。
近年は日本の大手カレーチェーン店の台湾進出によって、現在の日本のカレーライスと大差ないものが主流となっている。

韓国

大韓民国では、日本統治時代の朝鮮からの伝統として軍隊食などとして食されている。
家庭で作ったり大衆食堂で出されるカレーライスは、台湾の場合と同じく薄口の黄色が強いカレーソースが多い。
出されるときは日本と同じく米飯にカレーソースをかけた状態だが、食べる時にはビビンバと同様に、カレーソースと米飯を混ぜ合わせてから食べる事が多い。

中国

中華人民共和国では、「洋食」のひとつとして、ホテルなどでイギリス式のカレーライスを食べることができる。
一般の中国人には元々あまりなじみのない料理だったが、最近は、上海市に日本資本のカレーライスショップも開店し、日本風のカレーライスの人気も出て来ている。
中国では鶏がらや中華料理の調味料を使う。
「珈竰」(カーリー)もしくは「咖哩」(発音同じ)と表記される。

[English Translation]